アイデア

思い出の放課後

懐かしいものほど、小さく見える。 夕暮れの光をいつぶりにこの場所で見ただろう。不揃いに並んだ机の木目にオレンジの陽の光が斜めにさしていた。こんな眺めだっただろうか。こんな大きさだっただろうか。遠い昔のことでは無いはずなのに、思い出そうとする…

夜に駆け出す公僕の王

波の音が聞こえる夜は、誰かが僕を必要としている。 起きることをコントロールできる人間が、この世には何人いるんだろう? 僕はそれができる数少ない人間だ。特技は早起き。もちろん、眠気が無い訳じゃないし、人と同じように身体を休めなければ体調が悪く…

緑への亡命

亡命した男は考える。日々の労働の中に、言葉の中に答えを探している。* 最近の自分なら、よほどのことが無い限りは平穏な生活を続けている。 例えばそういった生活の先に何があるのか、未来って明るいの?なんて問題は、自分には意味がない。そう、今は思…

『溺れる彼女と御手の罪人』

『溺れる彼女と御手の罪人』 時代は1999年。 僕は空っぽの棚だけが残る玩具屋で、その日出所する姉さんを待っていた。 姉さんは憎まれている。母に、この村の女達に。姉さんは忘れたがられている。父に、この村の男達に。 だから、僕が守らなくちゃいけ…

弟はどこへいった。

しんしん小雪の降る夜に、弟、何処へ行ったのか。 三度月が巡ったように、長い長い冬の夜。弟はその足、深雪埋めて、きつねに会いにいきました。 きつねは弟出迎えて、干した魚と大根と、味噌を煮込んで鍋にした。 そしたらたぬきもやってきて、一緒に食べよ…

異なる土地の二人。

以前、写真で私自身を表現したいと、旅行に出たことがあった。 季節は八月のむし暑い日。大きな飾りの吊るさされた街を歩きながら、浴衣の子どもや男女を写真へとおさめていく。りんご飴、水風船、ちらかる紙コップに、色とりどりの氷と濡れた地面。暑い太陽…

未来観測

マンションの屋上くらい高ければ、星空の観測は難しくなかった。 眼下に胡麻ほどの小さい人々と、赤と白のライトが連なって光る産業道路が見える。私と教授は天体望遠鏡を夜空に向けながらあれやこれやと話し、最後に訪れるその時を待っていた。 「星の光が…

ナカオミ・アームチェア

深夜、道を歩いていると、灯りのついた店を見つけた。 道路沿いからガラス越しに店内を覗くと、様々な種類の椅子が並んでいた。背もたれの長くゆったりした椅子、二人掛けの赤いソファー、子ども用の装飾の可愛らしい椅子。私はもう少しだけ中を覗きたいと思…

ポルさんのこと

ポルさんが死んだ。 それは丁度、夏と秋が交代した日のことだった。僕は港まで父さんの漁船を迎えにいく途中で、自転車で海まで続く山道を下っていた。その日は太陽から届く光が少し弱くて、その代わりに風が少し強くて、下るスピードが速くなるにつれて、両…

創造の源泉

あたたかい水の中。外のあなたに語りかける、最初のお話。 息を吸うこと、息をはくこと、これから始まる全てのことに、私は期待しています。 あなたと生きていくこと、あなたの死を看取ること、そしてあなたに数えきれないくらいの幸福をあげること。 私にで…

お誕生日おめでとう。

上手く歳をとるには、どうしたらいいのだろう。 目の前にあるケーキには、私の名前とたくさんの生クリーム。甘いケーキが私にはお似合いだと言わんばかりの生クリーム。別に甘くないケーキなんて嬉しくもないんだけど。たまたま遊びにきた従姉のあきさんには…

仕事と人と。

入社して三年目。仕事と人について、少し分かったことがある。 それは10月の少し肌寒い日曜だった。気付けば秋、もうすぐ冬なので、そりゃそうかとスーパーで買い物を済ませた男は、家で鍋を作り始めた。今夜は牡蠣鍋をどうしても食べたかったのだ。台所で…

感謝は、することよりも、されることよりも、上手く還すことが一番難しい。

することは簡単。言葉でも、態度でも、相手の気持ちを考えて何かアクションを起こしていくと、いずれ相手が気付いてくれる。感じてくれる。 されることも簡単。言葉も無く、態度も無くても、ふとした瞬間に、その感謝は返ってくる。されることに、焦りさえ、…

刺激の有る生活

生活は単調で繰り返すものだ。 通い慣れた道、働き慣れた職場。季節が巡れば、路線事故も長期の休みもそこにある。不満は無かった。起きたら眠くなるし、眠ったらいつかは起きた。目的は生き続けること、そう言っても良い。そんな毎日に、男は静かに満足して…

とにかく殺さなくては。

作家は悩んでいた。自作の物語で、最近誰も殺していない。 風鈴の涼しく感じる季節、日差しの届く書斎で、一人の女が原稿用紙に向かい合っていた。女の職業は恐怖を売り物にする小説家である。読者達の普段は隠されている黒いスイッチを見つけ出し、指を押し…

ごめんねアナロジー

「デュエットって、なんだか恥ずかしいよね」 付き合い始めて、初めて二人でカラオケに行った日のことだ。街中のカラオケにいくことになって、部屋についたまではお互い盛り上がっていたんだけど、部屋のドアを閉めてからなんとなく沈黙が始まった。どちらか…

バロンはもういないよ。

その街にバロンがやってきたのは、3年前。 最初に街角でバロンに会った男の子は、とても背の高い人だなぁと驚いた。黒いスーツと長いステッキ、微笑む笑顔と頭をなでてくれる白い手袋。少年はバロンのことを本物の「紳士」なのだと思った。 街中でもバロン…

このまま終わりに

1999年、僕らの夏はいつものように過ぎていた。 代わり映えのしない日常、ただ暑いだけの季節に、僕らはうんざりしていた。一夏の恋も、一夜の蜜夜もないまま、ただだらだらと喫茶店で時間をつぶしてみたり、気まぐれに駅前の店を覗き歩く毎日だった。僕…

大勢の中で

「男は何も生み出さない。できるのは、もらったものを分け与えるくらいだ」 今年で15になる妹が。会話の流れなんて無視して急にそんなことを言い出した。母は思わずほうれん草のおひたしを摘む手を止め、私は思わずおかずのかぼちゃをお味噌汁の中に落とし…

細切れにされた思い出達に捧ぐ。

群馬に住む友人の作家から、ある日手紙と一冊の本が届いた。 「突然このような手紙を読ませてしまうことを許して欲しい。私には他にこれを読ませられる人が居ないのを、君は分かってくれると信じている。親愛なる××。唯一の友人である××より、敬意と友愛を込…

あじわいココア。子どもの居ない期間。

四歳になる娘を膝の上で眠らせながら、彼女の話を聞く。 幸せのあり方というような、ひどく抽象的で、でもみんなが知りたがる一つの答えを、彼女は語ってくれた。結局の所、まだまだそれって分からないよねと30代の彼女と私は思うのだけど。 私は30歳を…

赤い電車

君住む町へ、ひとっ飛び。 最近なぜかエンドレス。しかし電車は中央線。 くるりの打ち込み系の曲が苦手な人ってたまにいる。 わからなくもないけど、連続するリズムとかメロディーとか、反復する気持ちよさがいいんだけどなぁ。 くるりってそういう気持ちよ…

銀のナイフで切り取るもの

私の父のしていることは、善意なのか、憐れみなのか。 洋食屋のコックをしていた父は、仕事の無理がたたって身体を壊した。病名はスキルス性胃ガン。ガンは思ったよりも身体中を蝕んでいたようで、しかもそれが分かったのは胃を全摘出した後だった。 みるみ…

満たされぬ者たち。

かつて月と太陽が背中合わせで一つだったころ。 西の湖の側に大きな国が栄えていた。王政の元、民は林業と湖の水資源を生業とし、争いも無く静かな時代であった。現在の王が即位して14年、その平和も世継ぎが成長するまで続くかに見えたある日、王が病に倒…

ブレイク・スリー・イヤーズ

「break 3 years !」 そう、軽音楽部の壁には書かれていた。ペンキのような赤い塗料が途切れ途切れ文字を形作り、やけに「!」に力の入った大きな字で。過去、軽音楽部に所属する者は全て、まずその文字からの選別を受けたのであった。あるものはその意味の…

リズムのあいだに。

一番の不幸は、それに怯えている間のこと。 恐れるものがない時が、一番の恐怖を運んでくる。男はそう信じていた。最悪はいつも予兆なんて見せずに、身体の内側から姿を現す。身体の何処かが腐れていくように、ひどい臭いと濁った血液とが静かに全身へ循環し…

僕は何を憎んで、何を許さないのか。

彼の心には常に四人いる。 一人目の彼は、眼鏡をかけている彼だ。他の三人と協力して考えを練り上げる。彼は彼らの中のリーダーであり、彼の中の主格と呼べる存在だ。他の三人が興味を示さないことについては、主に彼が担当する。しかし、他の三人の誰かが行…

海を泳ぐ二匹の魚。

最初の記憶は二匹の魚だ。 一番古い記憶は両親が旅行で連れて行ったハワイの海の出来事だ。僕はまだ言葉を話すこともままならなかったから、記憶するには「ずっと覚えている」しか方法は無かった。 当時から今まで残っている写真では、姉がホテルのベランダ…

手ほどきを始めよう。

先生は仰った。「困りごとほど、楽しみなものはない」。 久々に全員がそろったのは、先生の通夜であった。僕はその帰り道、ふと先生との思い出を記憶から掘り出していた。 先生は東京から来た人であった。どうして東京に来たのか、それを聞いても「先生を続…

働く女に、元気をもらう。

よく働く女が、見つかった。 彼女が働くのは、見ていてなぜか気持ちいい。ハツラツとしているし、梅雨の湿り気も何処へやら、だ。歩く一足の間隔も、大きくてよい。それでいてうるさくない所も、大変によいのである。 彼女は前を見ている人である。前を見て…