僕は何を憎んで、何を許さないのか。

 彼の心には常に四人いる。
 一人目の彼は、眼鏡をかけている彼だ。他の三人と協力して考えを練り上げる。彼は彼らの中のリーダーであり、彼の中の主格と呼べる存在だ。他の三人が興味を示さないことについては、主に彼が担当する。しかし、他の三人の誰かが行動を起こしている時も、彼は常に彼らの側に立っている。彼は常に外界と接しながら他の三人とも接する。心の休まる時が無いように思えるかもしれない、しかし彼に不満は無かった。なぜなら彼には感情が無かったから。思い出が無かったから。自我が無かったからだ。
 二人目の彼には眼が六つあった。両目、掌に二つ、頭頂部に一つ、そして性器に一つ。彼は全てを疑いの眼で見ていた。出来事を信じる心を一番持ち、故に一番疑う人であった。彼の身体や周囲、そして過去現在未来に絶えず与えられる刺激に対して、興味を持った。外の刺激を取り込むのが彼の役目であり、彼の趣味でもあった。自我と呼べるものはその趣味を好む「好奇心」で、別の名を「欲」と言った。
 三人目の彼はほぼ全感覚が物理的に断たれており、あるのは短い脊椎と、七割が溶けた頭蓋骨にたまる水滴のみであった。彼は全ての想像の源、と他の三人に呼ばれている。彼の興味は常に「ここに無いもの」にあり、それを想像で満たしながら、得た感情を他の三人へと伝達させる。唯一外界の刺激で彼が好むものが一つだけあり、それは「音」の情報であった。音が連続する時、彼が一番外界に近い場所へと出てくる。一人目の彼は三人目の彼が出てくる時だけ、完全に補助する役割へと仕事を変える。話し合いなどは無く、静かに三人目の彼が元の位置へ戻るまで見守るのだ。
 四人目の彼は、一番見慣れた身体をしていた。何も着けず、何処も失わず、彼は「ことわり」に興味を抱く。言葉も身体もそれ以外の表現方法を持たない彼は、前へ出てくることは無い。一人目の彼が手を伸ばして彼に触れると、二人は交代する。一人は「ことわり」を探る求道者のごとく沈黙し、一人は自我を失い全ての統括を担当する。彼らは何処までが自分であったのかなど確かめることができない。四人目の彼と一人目の彼が共通して失っているものが、表現力であったからだ。

 ここに一つの「人間の欲望」がある。
 彼らは考えを練り上げる、外界の刺激を主に、想像を主に、論理や哲学を主に、彼らは考えを練り上げる。
 「人間の欲望」を果たして「人間の論理」で判断して良いものなのかどうか。