たまごの色

 たまごは偉大だ。
 といっても、全然えらそうじゃない。
 誰ともぶつからない。するっと、どんなかたちにも合う。
 だから、いい。

 「たまごの美味しさに敵うものなんかあるのかな」と私が言うと、ゴネーは「そうだね、たまごからみんな生まれてくるもんね」と微笑みながら卵を一つ手に取った。表面の小さな小さなてんてんを、さらさら、ざらざらと撫でて、こんこんこん、ごん、とヒビをいれた。中からとろっとした黄身と白身が、たぷっとボールの上に落ちた。
 ゴネーは菜箸を黄身に当てて、ゆっくりと力をこめると、「琴美はどんな料理が好き?」と黄身が溶けていくのを見つめた。
 「うーん、たまご焼きもオムライスも好きだけど、おでんの卵も美味しいよね、マヨネーズにしたらお好み焼きも美味しいし、タルタルソースとか、そのままスプーンで食べちゃう」。「そーだね、タルタルソースって美味しいよね」とゴネーは何かを思い出した表情をする。たぶん、昨日の夕飯に私の作ったチキン南蛮かもしれないな。だったら、嬉しいな。

 かしゃかしゃかしゃと、透明な白身と濃いオレンジの黄身が混ざっていく。透明な白身は黄身とひとつになるでもなく、まったく分離して残るでもない、その時々のバランスを残して、穏やかなクリーム色に混じり合っていく。
 小学校の頃、たまご焼きの絵を黄色一色で描いてしまって、それが気に入らなくて絵を破いてしまったことを思い出した。あの時の美術の先生の困った顔を、今でもとてもよく覚えている。オレンジと白をいくら混ぜても、バランスを変えて混ぜても、少しも思い通りの色にはならなくて、溶いたたまごの色は本当は違うのにと、イライラして最後にはただの黄色で卵焼きを塗った。でもそのこと自体にも後で後悔して、嫌な気持ちになって結局、どうしようもなくなって自分で破いてしまったのだ。そしてその絵は、コンクールに間に合わなかった。

 ゴネーはその頃からとても絵が上手だった。
 どうしてかは思い出せないけれど、ゴネーは私と同じ絵の具セットを使って、こしょこしょと筆をなでるだけで、キャンパスに綺麗な卵焼きを描いた。私にはそれが、何かの魔法に思えた。ゴネーの絵は、男の子とお母さんが仲良くたまご料理のごはんを食べているだけのとても簡単な絵だったけれど、それが都のこども絵画コンクールに入賞したのだった。
 ゴネーは「食いしん坊だから」と笑っていたけれど、私にはそれがとんでもなく羨ましくて、そして、そんなゴネーが輝いて見えた。

 ゴネーは今もたまに絵を描く。どんな人が買っているのか、どんな場所に飾られているのか、それは知らない。ただ、こうして二人で暮らしていられるのは、ゴネーの絵が高く売れるからだ。
 ゴネ−がそういう話を自分からはしないこと、あまり絵の話を私の前でしたがらないことから、あんまり楽しそうじゃないのかもなと、なんとなく思う。
 小さい頃のゴネーも、今のゴネーも、私にとっては同じに思えるけれど、もしかしたら、少しずつ少しずつ、彼の中の透明な何かが、黄色や緑や青や白と混ざって、そして黒と混ざって、何かのバランスをとる為に、変わっていっているのかもしれない。
 そしてそれが、彼が求めているものでは、無いのかもしれない。

 「ゴネー、今日は私、作るよ、ごはん」
 「え?」とゴネーが不思議そうな顔をする。
 「良いんだよ、今日は夕飯の当番代わってあげるよ」と、私は強引に菜箸を奪う。

 「その代わりにさ、今度でいいから、私の絵を描いてよ」

 ゴネーは少し考えてから、「いいよ」と答えた。よく分かっていないような、不思議そうな顔だった。

 たまごは偉大だ。どんな美味しい料理も、たまご料理には敵わない。
 けれど、それは私の腕にかかっている。

 ゴネーが上手に混ぜた溶きたまごを、大事に受け取る。
 今度は私が、そのたまごでごちそうを作ってやろう。