満たされぬ者たち。

 かつて月と太陽が背中合わせで一つだったころ。
 西の湖の側に大きな国が栄えていた。王政の元、民は林業と湖の水資源を生業とし、争いも無く静かな時代であった。現在の王が即位して14年、その平和も世継ぎが成長するまで続くかに見えたある日、王が病に倒れた。王妃は来る日も来る日も看病にあたり、国中の医者や薬屋、まじない師にその病を治させようとしたが上手くいかず、とうとう王はこの世を去る。
 残されたのは王妃と、二人の王子であった。兄は生まれつき盲目で身体も弱く、治世は身体だけは大きな11歳の弟と、宰相であるつり目男に任されることとなった。王妃は看病の疲れから身体を壊し、弟はつり目男の甘い言葉にしか耳を貸さなくなり、次第に国は乱れた。兄はそれを自室の天井を見上げながら嘆くしかなく、涙は三日目に枯れた。いつも側にいた親友の召使いは、そんな兄の姿を見てこう言った。「あなたはやれることをしている。あなたが生きていることが、王妃を支えているのですよ」。そして四日目の夜、一人の老女が兄の前に姿を表す。
 「国を満たしたいか?」と、老女は兄の頭へ語りかける。夢とも現実ともはっきりしない意識の中で、兄はそれに返事をする。「国を満たすと、己の望みは全て、死す時まで満たされることは無い。それでも良いか?」。兄に迷いは無かった。もともと兄は、自分を満たされていない人間だと考えていたからだ。光を知らず、自由を知らず、兄を満たすのは「欠けた己」ばかりであった。「ならば東へ行くが良い、三匹の赤い鳥が治世を行う国へ行け。だが決して自分は戻らず、その鳥の言葉のみを、国へ持ち帰るのだ」
 兄は五日目の朝、夜も明けきらぬ程朝早く、召使いの親友を呼んだ。そして老女の話をし、親友へ自分が東へ行くこと、もう一人連れて行かなくてはいけないことを告げた。親友は頑なにそれを夢と決めつけ、兄の心を気遣ったが、兄は更に真剣な口調と言葉で親友を説得した。あまりの強い意志に親友はその言葉を信じ、一人の薬屋を城へ呼んだ。その薬屋は町外れの更に外れに住んでおり、たいそう評判の良くない薬屋であった。親友がその薬屋を呼んだ理由は一つ、兄の望む「秘薬」を作らせるためであった。
 「秘薬」はたちどころに兄の身体を健康にし、わずかながら視覚以外の感覚を強くさせた。しかしそれは兄の涙と笑みと人としての尊厳を奪うものであった。「秘薬」は人の心を凍り付かせ、生命に必要な感覚を強くさせる代わりに、少しずつ知性と理性を奪っていく。親友はそのことを兄に告げ、そして二人は城を出た。
 兄に残された時間は少ない。黒い馬が二頭、朝日の昇る方角へ向けて走り出した。