優先順位

 「俺が生まれた時、たぶん、みんなが喜んだんだと思う」
 「でもその後に弟が生まれて、それを皆が喜んでいるのを見て、何か俺ひとり置いていかれた気がしたんだ。皆の視線が弟の居る方向、今じゃなくて、少し先の、これからのこと、例えば、弟が初めて歩き出す時のこととか、初めて言葉を話す時のこととか、そういう先のことに向かっていって、今ここに居る俺はどうなっちゃうんだろうって、もしかしたら、このまま暗い穴みたいなものに落ちてしまって、それすら誰にも気付かれなくて、そうして消えてしまうんじゃないかって、怖くなった」
 「これが、孤独ってことなのかなって、初めて思った」

 「俺も同じ経験があるよ。弟が輝いて見えて、その分自分が暗くなってしまったような、とても怖い思い出」
 「俺が分かったみたいに、弟もさ、大きくなってから自分が優遇されていることに気付いたのかな。甘え放題でわがまま言いたい放題でさ。あ、こいつ、自分が愛されていることに甘んじてるなって、あぁ、人間って嫌だなって、初めて思ったかもしれない」
 「でも、本当に嫌な奴だったのは俺の方かもしれない」
 「ある日さ、父親が道ばたで子犬を拾って来たんだよ。目がくりくりしてすっごい可愛いの。もちろん家族はそいつにすぐに夢中になってさ、その瞬間全ての視線はその子犬に移ったんだ。弟は内心焦っただろうね、自分の立場が初めて脅かされてるわけだもの。初めて自分が『次』になったんだもの。何処まで階段を転げ落ちていくのか、相当不安で怖かったと思う。今思うと、父も母もちゃんと弟と接してたんだよ。でも子どもには分からない」
 「だから、子犬がうちに来てしばらくしてから、俺は家族に内緒でそいつを誰にも分からない場所に隠したんだ。夜中にこっそり。朝になって家族は逃げ出したって慌てて、みんなで探しに行ってたけど、弟は知らんぷりして一人で遊んでた。俺は弟に、探しにいかないのか、寂しくないのかって聞いたんだけど、弟は何も言わなかった。でも、少しだけ笑ってたよ。だから確信したよ、こいつはこのまま居なくなって欲しがってるんだって」
 「そうしてまたしばらくしてから、俺は子犬を連れ帰った。どっかで見つけたって嘘ついて。家族はみんなまた子犬に夢中になったよ。食べ物も何もあげなかったから、痩せて可愛そうな見た目になっていたしね。それが情を更にかき立てた。そして見つけた俺をたくさん褒めてくれた。その時、弟はどう思っただろうね。俺はまだ「次」だったけど、一番は子犬だったけど、弟を少しの間だけ出し抜いた。動物想いの優しい兄だっていうおまけ付きで。その日、弟は一番最後になった。一番寂しくて、一番暗い穴の底に、暖かいはずの家庭のまん中に空いた狭くて深い孤独の穴に落ちた」
 「俺はその時、何かやってやった気になって、いい気になって笑った。でもすぐに、嬉しさも楽しさも何も残らないことに気付いた。気が晴れなくて、憂鬱で、何も楽しめなくなった。ごはんも美味しくなくなった。自分で自分に、消せない×印を付けたような気がした。顔のど真ん中に大きく」
 「それからは、そういうことは止めた。二度としないと誓った。子犬の世話も、良い兄でいることも、ちゃんとやった。でも何か後ろめたい気持ちは残って、消えなかった」
 「弟が生まれた時の孤独の方がマシだったよ。あの時のような孤独を受け入れて、『次』になることを受け入れていくのが、きっと人間なんだなって、今は思う」