細切れにされた思い出達に捧ぐ。

 群馬に住む友人の作家から、ある日手紙と一冊の本が届いた。
 「突然このような手紙を読ませてしまうことを許して欲しい。私には他にこれを読ませられる人が居ないのを、君は分かってくれると信じている。親愛なる××。唯一の友人である××より、敬意と友愛を込めて。
 私がこの本を書き上げたのは五月の雨の日。湿気と汗で原稿用紙を汚しながら、極めて理性的に登場人物を選び、一方を生かしてもう一方を殺した。もちろん全ては物語の中でだ。誰一人として実際に殺しちゃいない。その時は、まだそうだと信じていたんだ。
 私の住む町で、一人の男が駅前のバスロータリーで割腹自殺したニュースは、知っているか?もしかしたら東京ではニュースにすらならなかったかもしれない。地元では有名な事件だったんだ。時間は深夜24時30頃。その時間にもなると町で人なんてほとんど見かけなくなり、いるのは野良猫かこうもりくらいのもんだ。その時間に男は遺書も被害者も出さずに、ひっそりと自分の腹を裂いた。見つけたのは早朝駅前に向かったサラリーマンさ。誰にも知られず、ひっそりと腹を切り、ひっそりと死んだ男がいたんだ。ともかくその自殺した男だが、どうやら、その死因に私の本が関わっているらしい。男は私の良く行く喫茶店の常連客で、私はその喫茶店で良く執筆をしていた。もちろん普段は家で書くのだけれど、原稿用紙に気が乗らない時——君にもあるだろう?そういう時が――よくその店を使う。男と同じ時間に店にいることはほとんど無くて、マスターに男が店の常連だと聞くまで私も知らなかったくらいだ。ただ、一度だけ男に私の原稿を読まれたことがあったんだ。丁度5月の雨が過ぎ去って晴れた水曜のことだ。
 私はいつものように店の隅のテーブルに原稿を広げ、エスプレッソを飲みながら読み返していた。その日、妻を家まで車で送る約束を私はすっかり忘れていて、妻が駅に着く16:30に駅まで急いで向かったんだ。喫茶店は駅と近かったからとりあえず駅に向かい、すぐ戻るつもりだった。原稿も荷物もそのままに、財布と車のキーだけを持って。
 後で聞くには、そのあいだに男が私の原稿を読んだようなんだ。しかし、駅から喫茶店までは歩いても10分そこらだ。私の書いた原稿は原稿用紙で800枚、とてもじゃないが、20分そこそこで読めるとは思わない。速読のできる人間かと考えたんだが、私の字は知っての通り、荒れた字で有名じゃないか。幾つも読めない字があって、そうそう早く読めるものでは無いと思う。それにマスターが男が店で文庫本を読んでいる姿を見たことがあって、それはとてもゆっくりしたページめくりだったと言うんだ。だから、男がどれくらいその文書を読んだのか分からないが、とりあえず全文は読まれた。なぜなら、男のその後の行動が、私の書いた物語にあまりにも似ていたからだ。
 男の死ぬまでの行動は、同封した新聞記事の通りで間違いない。証言者も多かったし、男は銀行から全預金を卸して街中で使ったからな。皆が覚えている。私の本と合わせて読んでみて欲しい。
 
 問題は男が最後に自分の腹を裂いた、ということなんだ。それまでの行動は「生き残る登場人物」の行動であるのに、最後は「死んで消える登場人物」の行動を取っていることなんだ。どこで男はそう選択したのか分からないが、この謎を解いて欲しい。
 私はこれから本のコピーと一緒に、警察へ向かおうと思う。いくら私の与り知らぬところで男が死んだとはいえ、私の原稿がなんらかの形で男を死へと向かわせたとしたら、それは私の問題でもあるのだと思うからだ。もちろん罪を受けるつもりはない、しかし罰は、何かの形で私は受けたいのだ。これは、私の人生の後味を悪くする事件になる気がする。だから手を打ちたいのだ、私の方から。
 君にはよく分かるだろう。作家が物語で人を殺すことに対して、どんなに努力しても責任感なんて持ち続けられないことを。作家は物語の世界では神に近い存在だ。だから反省も努力もしない。
 しかしその物語が、直接現実の世界と繋がるものであると、もし証明されたら、私は私のしてきたことに責任を取らなくてはならない。死んでしまった男に対して責任などとりようも無いが、そこへ逃げたら、私は作家としてはおろか、人としても最低の屑になってしまう。
 私の物語が、世界と繋がっていることは願っているが、それがより前向きで建設的であることを願う。
 君には、どうかその謎を解いて欲しい。勝手な頼みであることは充分に承知している。その上で頼めるのは君しか居ない。一度、この本を読んで欲しい」

 友人からの手紙はそこで終わり、残されたのは数枚の新聞記事と一冊の本。タイトルも決まっていないようだったその原稿の最初のページには、「細切れにされた思い出達に捧ぐ」と書かれていた。