とにかく殺さなくては。

 作家は悩んでいた。自作の物語で、最近誰も殺していない。
 風鈴の涼しく感じる季節、日差しの届く書斎で、一人の女が原稿用紙に向かい合っていた。女の職業は恐怖を売り物にする小説家である。読者達の普段は隠されている黒いスイッチを見つけ出し、指を押し当てたまま彼らの息を凍り付かせる。いつ押されるのかと読者達は気が気でない。女はそれを見て微笑みながら、彼らの神経が切れる瞬間に合わせて力いっぱいボタンを押す。女に対する評価はその一点に集まっていた。なんと恐ろしい、禍々しい考えを文字に落とす女か。皆がそれを望み、それを待ちわびていた。しかし今、女は大不調である。

 女の原稿は書き直され、書き足され黒く塗りつぶされていた。元はどんな文章であったか、そこから想像することもできない。ただ女には、それが「最悪」の文書であることが分かる。なんと暖かみのある文章、なんと優しさに満ちあふれた文章か。実際その文章はそんなに暖かくも優しくも無かったが、問題はそんなことでは無かった。ひとかけらも、女の感情を揺さぶらないのである。それは決定的な欠陥であった。
 「佳代、コーヒー飲む?」
 おそらくその原因が、この寝ぼけた眼でマグカップを見せる男であることは、疑うべくも無かった。夫である。
 
 恐怖に一番人間は反応する。命を危険にさらすもの、自己の存在を揺るがすもの、人の一生はそれとの戦いであると言っても良い。女はそれをよく分かっていた、身を持って。
 小さい頃からあらゆる事故・怪我に巻き込まれ、巻き込んだ。行く先行く先に不幸が振りまかれ、不倫が発覚し、遺産問題が人の絆を引き裂いた。女に一つも落ち度は無いのだが、それでも黒い噂は人を伝って素早く広がった。呪いだのなんだのと、女の知らぬ所で様々な悪意の名をつけられ、呼ばれた。女はその連鎖を最初は悔やんだが、ある時からかそれを止め、その体験を元に小説を発表した。
 いかに人は黒々としているものか。いかに人は信用と信頼という言葉だけを愛しているか。いかに人は人を人とも思わないものか。女はそれを次々と文章に落とし込んだ。醜い自己を発見する読者は、まず恐怖に立ち止まり、次に取り込まれ、最後に更なる醜い自己を知っておきたいと思った。人はたくましい、醜い自己を発見するのであっても、人に知られなければ、どうということもなく楽しめるものである。

 そうして一番、女の小説を楽しんだのが夫である、道彦であった。
 「佳代、まだ書けないの?」
 作家に「書けないの?」などと、デリカシーもへったくれもあったものではない言葉を発するこの男は、女の物語の出来を一番に理解する読者であり、女が個人的に一番嫌いな読者でもあった。なぜなら、男は女の小説を笑って読むのである。女の書く不幸を、全て笑うのである。一度だって怖がったそぶりも見せず、そういうことあるよねと笑うだけであった。女は負けじと作品を次々と発表するのだが、それも次々と男は笑った。良く笑う程、世間の人間はよく書けていると評価した。女は次第にスランプに陥っていった。男はそれも笑った。またいつか書けばいいじゃん。

 そして今、女の頭の中に一つのアイデアがある。今までの作品の不幸は、全て外側の不幸であった。我が身に起きたことでは無く、他人を襲った不幸を写し取ったものである。ならば、もし、自分の不幸を作品に写し取ることができたら。もしその時、本当に恐ろしい作品がかけたら、私はこの状況を打破できるのではないだろうか?
 つまり、夫を殺してみたい、という欲求である。
 「佳代、洋梨食べた? 取っておいたのになー」
 手元には、半分剥かれてしおれた洋梨と、真夏の陽光に輝く果物ナイフがある。汗をかいていたのは、夏のせいだけでは無かった。