銀のナイフで切り取るもの

 私の父のしていることは、善意なのか、憐れみなのか。
 洋食屋のコックをしていた父は、仕事の無理がたたって身体を壊した。病名はスキルス性胃ガン。ガンは思ったよりも身体中を蝕んでいたようで、しかもそれが分かったのは胃を全摘出した後だった。
 みるみる父は痩せ細っていき、食事と呼べるようなものはほとんど食べられず、どろどろした流動食のおかゆを食べては、店を継いだ兄にお店の近況を訪ねるのが毎日の仕事となった。父はこのまま、文字通りに枯れてしまうのだろうか。みんなが心配していたが、幸いにも父には仕事以外に個人的な趣味があった。それは、人をちょっとした「工夫」で楽しませることであった。
 味付けにどうしても慣れないおばあさんがいれば、店から取り寄せた調味料と特製の果物と野菜のソースで味付けし、食事を一人で寂しく食べているおじいさんが居れば、食器やテーブルクロスを同部屋分用意し皆で形だけでも晩餐を楽しんだ。父のささやかな幸せは部屋を超えて広がり、いつもは寂しい病室の夕食も、笑い声が聞こえる程には明るくなった。
 父はよくこう言った。「食事を楽しめるということは、命を分け合う余裕や優しさ、そして喜びがあるということなんだ」。
 たとえそれが余命幾ばくかの人々であっても、命の続くことに感謝できるのだと、私は父から学んだ。
 ある日、都会の新聞社の記者が父に取材に訪れた。父が病院でしていること、そして父の人生を記事にして多くの人に知ってもらいたいのだと言って、父の病室に果物を持って入ってきた。父は喜んで取材に応じ、たくさんのインタビューをテープに答え、思うままに言葉を伝えた。記者はこれで良い記事が書けると言い都会へ戻り、父はそれからその記事を見ることなくこの世を去った。最期は静かだった。苦しむ様子もほとんどみせず、私の手を握ったまま静かに眠ってしまった。
 父の葬儀が終わってしばらくして、記事が新聞に掲載された。そこには病室で笑う父の姿と、同じ病室の人々の笑顔があった。父の言葉もほとんどそのまま掲載され、私の家には各地から手紙が届くようになった。そのほとんどが父へのメッセージと同じ病気で苦しむ人達の告白の言葉で、中には父のことを神聖視する人もいて、私たち家族は驚きながらも一つずつゆっくりと返事を書いた。多くの人がそれっきりで、手紙は次第に減っていったが、ある日、送り主の分からない大きな封筒が送られてきた。
 切り開くと、中には一万円札の束が三つ。300万円。母と私は困惑し、送り主へ返そうとしたが、どうやったら見つけられるか分からず困ってしまった。兄は最初はそれを同じように困惑した眼で見ていたが、次第に善意のお金ではないか、何かのために使うのが良いのではないか?と口にするようになった。
 ちょうど父の居なくなった洋食屋は、兄の努力を持ってしても売り上げが少しずつ減ってしまい、何か打開策を練らなければいけない時期ではあった。母がそのことにお金を使うのではと心配すると、兄はそれをすぐには否定したが、そう使うのもそれ程悪いことでは無いと後に主張するようになった。結局その300万円は手を付けないまま、父の仏壇に納められることとなった。

 それからしばらくすると家に一通の手紙が届いた。内容は短く一文、「善意を語る金の亡者。父に恥じ、身を清め、悔い改めよ」。私は何かの間違いだと言ったが、母はすぐに仏壇のお金のことを口にした。私がそれでお金を探してみると、そこには150万しか無く、兄に問いただすと店の維持へ使ったという。兄に悪意は無かったが、そのことで兄と母は家の中でもギクシャクしてしまい、次第に兄は店に寝泊まりするようになった。
 理由が分かったのはしばらく後だった。ランチタイムも静かになった洋食屋の数少ない常連客が、一冊の週刊誌を持ってその理由を明かしてくれたのだ。記事には、あることないことめちゃくちゃに書かれていたが、その中に一つだけ「300万」という単位が正しく書かれていた。あの手紙以来、誹謗中傷の手紙は少しずつ届いていた理由がはっきりして、母は体調を悪くし兄は青ざめた。
 このままでは、せっかく父の居ない隙間を埋め合ってきた家族が、また離れてしまう。私は自分にできることを探して東京へと出てきた。そう、この記事を書いた記者と会うことである。

 今、私は皮肉にも都会の洋食屋の窓際の席で、男を待っている。あることないことでたらめに書いた記者というものを、私は初めて見る。そして、おそらく札束とも関係のある人物。私はどういう自分で接すれば良いのか考えていた。疑問が先か、怒りが先か、それともその他の感情か。
 目の前には銀のナイフが置かれている。そのナイフは決して何かを刺す為でも、切り裂く為でもなく、ただ、食事をするためにある。
 私の中の最も恐ろしい想像は、今の所、それを使わないという選択肢ではありえない。しかし私にできるだろうか? やる意思があるのだろうか?
 全ては、男と話してみて決めようと思った。