刺激の有る生活

 生活は単調で繰り返すものだ。

 通い慣れた道、働き慣れた職場。季節が巡れば、路線事故も長期の休みもそこにある。不満は無かった。起きたら眠くなるし、眠ったらいつかは起きた。目的は生き続けること、そう言っても良い。そんな毎日に、男は静かに満足していた。
 唯一、男の生活に刺激を与える趣味があった。それは毎週水曜に乾燥式のサウナに通うこと。木造りの室内に、よく絞ったタオル。木目から漂う匂いと熱を静かに伝える焼き石の炉。できれば秒針と長針の目立つ大きな時計があると男は満足した。カラカラになるまで秒針と向かい合い、身体の線に沿って流れる雫に感覚を集中する。内側から何かが生まれ溢れてくるように、じわりじわりと流れ出す、今現在の私の体液。それは自分が水の固まりであることを確認する行為でもあった。

 今日も男は時計を見つめていた。一分、二分、待つことで身体を痛めつけるわけじゃなく、三分、四分、身体の輪郭を認識して自己を理解する行為だと、男は考えていた。自分はここにいる。時間と空間と身体が限定されることで、自分のことが良く分かる。しかし今日は、その神聖な時間に、一人の男が邪魔に入ることとなる。
 男は最初、老人のように見えた。痩せた身体、浮き出たあばら骨、しかし顔は同い年かそれくらいの中年と呼ぶには早すぎる男であった。入り口から入ると、すぐ側のマットの上に座り、静かに話しかけてきた。
 「あなたも、ここをよく使ってますよね」
 そう言われて心臓が少し早く鼓動を進める。まだ5分、もう少しこの空間を体験していたいと、男は思う。
 「私も同じですよ。ここしか刺激を得られなくてね」
  「あなたも好きなんですか? サウナ」
 「ええ。でも、あなた程、ここに刺激を求めていませんが」
 さっきから自分を知っているような口振りをするこの男は、いったい何者なのか。以前会ったことがあるような、無いような、特徴の無い顔をしている。しかしその特徴のなさが、この男の特徴なのでは無いか。何処かで出会っているなら、そのことを記憶しているはずだ。
  「私は別に、ここに刺激を求めてなんていませんよ」
 そう切り返すのが精一杯だと、認めたくなかった。しかし男には隠せない鼓動の速さがある。身体の認識が鋭い今だからこそ、その認識に嘘をつき続けることができない。
 「じゃあ、もし私が、あなたがもうすぐこの部屋を出ると、そう予言したら」
 汗があごの先から落ちた。炉では何かが蒸発する音と熱気が漂う。
 「そう予言したら、あなたはその予言を破ってくれますか? 例えば今部屋を出るみたいに」
 時計はまだ6分半。まだまだいつものタイムでは早すぎるくらいだ。
  「そんなこと、あなたに関係ない」
 「ほうら、予言は当たった。あなたはやっぱり刺激を求めてここにいるんだ」
  「何なんですかあなたは?」
 「あなたにもっと刺激をあげたいと思いましてね」
  「話しかけないでください」
 「いいや、駄目です。それはあなたが求めていることだから、私には止められない」
 男は聞いてられないという素振りで部屋を出ようとした。しかしドアの取っ手を押そうとした瞬間、男の小さく鼻で笑う音が聞こえた。そして、自分が本当はここに居たいのでは無いかと思い、汗が床に落ちた。男はそのまま急いで部屋を出た。
 
 身体を拭きながら頭を冷やし、先ほどの男との会話を考える。刺激? 私には止められない? そんな言葉が頭の中で木霊する。もうここに来るのはよそうか、他の場所を探せば良い。しかし、もしここに通わなくなるとすると、その後の生活がとても味気ないものに思えてきた。
 いかにこの場所を必要としていたか。男は次第に冷えた身体と、これからの平凡な現実感で、ゆっくりと眼を覚まそうとしていた。