あじわいココア。子どもの居ない期間。

 四歳になる娘を膝の上で眠らせながら、彼女の話を聞く。
 幸せのあり方というような、ひどく抽象的で、でもみんなが知りたがる一つの答えを、彼女は語ってくれた。結局の所、まだまだそれって分からないよねと30代の彼女と私は思うのだけど。
 私は30歳を前に結婚し、すぐに子どもを授かった。子どもは元々好きだったし、騒がしい毎日も良いと思えるのだけれど、でも子どもが居ない独身の頃に好きなのと、育てながら愛していくのでは、違うと思っていた。大人になって分かったことだけれど、私の両親はあまり良い両親では無かったし、でも二人なりに私を育ててくれた姿を、私は親の「唯一の見本」として持っているからだ。だから最初は不安だった。
 そのことを勇気を出して告白した時、妻にきちんと聴いてもらえたと、自分なりに納得できたから、こうして膝の上に娘がいる。でも、目の前の親友には居ない。余計な理由はそこにはなくて、それは単純に、彼女がそれを選んできたからだ。
 彼女は結婚して6年目。旦那さんも彼女も会社員を続けていて、お互いの生活をより近い距離感で続けている。子どもを産むことを考えたそうだけれど、結局それは止めた。彼女は仕事を続けていたかったからだ。やはり女性が子育てをしながら仕事を続けることは難しく、彼女も私と同じように子どもは好きだけれど、育てることに不安な人であったから、結局仕事を人生のやりがいの中心に置いた。
 彼に反対はされなかった。元々子どもみたいな人だからと、その辺りについては笑いながら教えてくれたことがあった。私は昔一度、彼女の旦那さんとマウンテンバイクの大会を見に行ったことがある。気さくで多趣味で、良い父になってくれそうな、そんな人だった。
 
 幸せのあり方は、どう定義して探したらいいのだろう。幸せなんて定義できないのは分かりきっているのだけど、今人生の途中まで生きてきた自分を振り返るのに、私も彼女も自分を知る良い言葉だと思ったのだ。今日、久々にあう日だけれど、なじみのファミレスを選んだのも、共働きでお金のある彼女と、娘の為に節約する私、という関係が見え隠れする。彼女は懐かしいし気楽で良いと相変わらずの笑顔なのだが、私にはお互いのいる場所の違いが気になってしまう。娘はフレンチトーストと生クリームたっぷりのパフェを今日は特別に食べられて、幸せそうに眠っている。いつもはお母さんが虫歯に厳しいからね。
 「ようちゃんは、幸せ?」
 ふとそう聞かれて、私は自然に娘を見た。眠っている笑顔はやわらかくて、あたたかい。
 「幸せだねぇ」
 そう、と彼女は言って、小さく「いいなぁ」と言った。これでも大変なことも多くて、いろいろ心配になったりして、とにかく大変だよと、私はよく分からないことを言う。彼女を悲しい気持ちにしてはいけない。彼女を否定したくなかったし、そんな友人には絶対になりたくなかった。
 「私も、楽しいけどね」
 私を察してか、そう話した彼女はウェイトレスを呼んで、ココアをおかわりした。それは期間限定の「あじわいココア」というもので、普通のコーヒーよりも少し値が高い。娘と一緒で甘いもの好きの私にそれを見せつけては「でもようちゃんは節約してるんだよね」と笑ってみせた。
 こういうやりとりは久しぶりで、なんだか切なくなった。でも、それは私と彼女が親友である証でもある。
 「わたしも、あじわいココア」
 飲んでしまえば娘にも分からない、はず。しばらくのあいだ、二人で甘いココアを楽しんだ。