グッデイ

 中学生くらいの息子とやたら仲の良い、メガネのお母さんを見た。
 一緒にあと、娘が二人いて、それぞれその息子よりも年上で、どうやらいろいろと肩身がせまそうだ。女家族に囲まれて暮らす男の子は皆こんな感じかもしれないね。可愛がられるような、手の上で転がされてしまうような。
 男は少し肩身が狭いくらいが良い。偉そうにされるより全然良いね。女の人が元気な家庭は、なんだか安心する。ただ、男の人の無駄に高いプライドが嫌いなのかもしれない。

 また髪が伸びてきた。袖の短いシャツを着たら、それが目立って困る。
 湿気のある日は、髪質と相まって頭全体がうねうねする。風のかたちが髪の毛を介して現れているみたいだ。見えないものが、見えるものを通して姿を表す。といっても、結局は癖っ毛だ。厄介。

 大人になると答えがどんどん出せるようになる。
 こどもであるということは、いくつもの「どうしてだろう」を生み出せる力があるということかもしれない。どうしてあの人は疲れて座っているの。どうしてあの人はあんなに優しいの。どうして生きる力がある人と、無い人がいるの。
 問題を見つけるのはいつもこどもで、それを解決していくのが大人の役目。そんな気がする。

 それでも、「どうして大人になろうと思ったの?」という質問には、うまく答えられない。

 そこに答えが見つからないままだから良いこともあるんだよ、そんな答えがある気がするよ。何事にも意味を求めてはいけない。意味の無い、利益の出ない、得もしない。でも価値はある。
 この感覚を掴むことはきっと、ある種の運が必要で、その運も自分の力だけでは手に出来ない。巡り合わせのような、偶然の重なりや出会いの連続が、その感覚を支えている。もしかしたら、いずれまたこどもに戻りたくて泣き出すかもしれない。そんな日が来るとは思えないけれど、もしかしたら、分からない。先のことは、人生のことは、大人もこどもも、分からないのだから。
 今は大人でいようと思う。それは確かだと思える。

 最近移動中にこの曲を聴いて泣きそうになった。
 子どもが泣くように、大人だって泣く。でも自分の為にでは無くて、何かの為に泣く。

 偉そうに大人ぶるつもりは無いけど、大人であることから逃げるわけにはいかない。そういうのを大人って言うのか、わからないけれど。