浮かんでは消える いくつか。

 つぶやいてみる。

芸術は現在(瞬間)を享受するものだから。
だから愛しい。

だから上手くいかない。

ほしいもの、じゃない。
家にあったら嬉しい、を贈ろう。

女は、長年暮らした土地との関係が崩れてしまった。
埋めてきた様々なものが、例えば思い出が、芽を出さずに腐ってしまった。ひどい臭いを放って大地へ沈んだ。
水をあげすぎたのかもしれない。そういえば、夜な夜な出歩き、止まらない涙を拭いていたこともあったなと、彼女は思った。
星は変わらず綺麗で、彼女はそれを見つめてばかりいた。地面には暗く湿った大地が広がった。
それでもこの土地は豊かだ。誰かにとっては金の取れる大地なのだろう。子どもたちと寝転ぶ心地よい芝生なのだろう。
私はいつしか、この土地の名前すら忘れていたのに。


自分がこの土地と不和であると認めるのに、彼女は多くの時間を費やしてしまった。
幾つもの季節を通して石を拾い、土を掴み、掘れども掘れども、ふっくらとした暖かい地層には届かず、
いくら耕してみても、その花は一季節で枯れてしまった。
ますます涙は大地を濡らした。


出ていこう。
そう思ったのは稲穂が揺れて、黄金色に輝く季節だった。
決意をした彼女の眼の前には、むき出しの大地が広がっている。
稲穂たちはしっかり穀倉にしまわれ、
ただ、しん、しん、と、静かな夜が続いている。


そうして彼女は旅に出た。

人から物をもらうのって、うれしい反面、縛られていく感じがするじゃない?
だから、その腕時計は手錠みたいに見えてきたんじゃないかなぁ。

あらゆる物事の「時間」を瞬時に答えられ、決して忘れない男が居た。
例えば、彼が生まれてから一番長い時間会話をした人は誰か、それすら簡単に答えられた。もちろん正確な時間と共に。
どうしてそんなことができるかと言うと、彼には、決して忘れられない女性が居たからである。
ただ彼女とは、もう随分と会っていない。生きているのかすら、彼には分からなかった。


「彼女と過ごすはずだった時間は、僕の中で増えていくばかりだ。


 溜まっていく時間たちは、本当は、
 互いを見つめ合う長い沈黙や、
 写真に一緒に写る瞬きの間や、
 頬の側で感じる優しい寝息のように一晩中、
 僕らを包むために流れていたはずなのに。


 本当かどうか、今はもう分からない。
 溜まった時間は桁を間違えたように増えていたし、
 それを現実の時間に交換することは、僕の命ではまかなえない。


 それだけ多くの時間が過ぎて、あの頃の僕と今の僕は、遠く距離を置いて、互いにおとなしく暮らしている。
 してあげられなかったこと、ありえたかもしれない可能性の日々、それらの貴重さを考えれば、
 僕の今までしてきたことなんか、とるに足らない」


ただ、彼のおかげで、現在の科学の進歩があったのも、事実ではある。
一人の男の果たされない幸福と、大勢の人間達を支える快適な暮らしと安心。
どちらが貴重なものかは、言うまでもなかろう。

「もう今日の俺には期待しないのかい?」
 「あぁそうさ。明日の俺に期待しよう。希望をもとう。明日は良い日だ、未来は明るい。そんな気がする」
「そうか。じゃあ残った今日の時間、俺がもらっても良いわけだな?」
 「なんだって?」

彼を好きになることは、彼女にとって恋愛のリハビリになったわけだ。

太っている女。綺麗な女。若い女。めんどくさい女。
もうそれだけで、男の認識をはるかに越えて、違う女。