自分が比較的正常だと思っているけど。

 どうにもそうじゃないらしい。
 私が腹を立てる多くの事は、私以外の人々にとっては取るに足らない事のようだ。薄汚れたハンカチしか持っていなくて、その手が不潔か清潔か自分じゃ判断もできないのに、この肉には火が通っているのか?厨房の衛生管理はどうなっているのか?と聞いてくる男。添加物がどうとか色合いがどうとか、発がん性物質にはやたら詳しいつもりでいて、誤った知識を得る為に視力を失いつつある女。その眼で赤と緑と黄色を見間違えないと良いけれど。
 気付くと私もその人間達の間に居た。誰もが先を急ぐように何かを疑い、欠点を並べ不安を自分で煽りながら、私は失敗しなかった、すなわちまだ負けていないと声高に自分へと語りかける。もちろんそれらを側で聞くものなど一人も居ない。それぞれがそれぞれの価値観で、不安を列挙して、安心することを恐れている。無限に続く密告とプロパガンダ。熱狂するのはただ、自分という同志に対して。そんな人々の中に、私は居た。順応できなかった私は、孤独だった。
 薄ら笑いを浮かべる人の列に並び、同じチケットを買えば良かったのに。私はその人々の列が放つ悪臭に近寄れなかったし、その人々から離れることもできなかった。人が集まっているのは、その列の先だけだった。私の後ろ、列に並ばない者達も居たのだけれど、今は誰もいないから。代わりに幾つもの石や貝や木の枝が間隔を開けて立ててあって、それぞれの持ち物が一つだけ、その側に置かれたり結ばれたりしていた。あとは砂漠が広がっているだけ。私だけだ、列から離れているのは。
 孤独は簡単だ。孤独はいつもここにある。

 「またどっか行ってたでしょう」
 私は人で混雑している店の窓際にいた。ハンバーガーやカフェオレの載ったトレイが置けるだけの小さなテーブルに、小さく身体を押さえ込むようにしてスペースを合わせて、爪先のつかない狭い椅子に座る。居心地が良いとは言えない席の向かいには、先月付き合い始めたばかりの彼がいる。彼は私が話を聞いていないことを責めながらも、少しだけ口調に遠慮と間接的な言い回しを混ぜた。視線も私をあまり見ようとはしない。彼は恐れているのだろうか。私が機嫌を悪くしたんじゃないかとか、それが自分に興味が無くなったからじゃないかとか、そんな不安を言葉の端に混ぜているようだった。
 また呆れられてしまっただろうな、というよりも私が私自身に呆れているのだろうか。相手は少しずつだけれど、自分の気持ちを私に晒して確認させてくれているのに、私はまた読み取るだけ読み取って、期待に答えてあげていない。分析ばかりしてはいけない、すぐに飽きてしまう。そうやってあぁそろそろかなと、私の中で条件を揃え始めてしまう。黙っている男が良かったなんて、つまらない言い訳を真剣に思い込もうとしてしまう。
 「聞きたい? ただ、面白くないかもしれないけど」
  「今、何考えていたか?」
 「そう。それが気に入らないなら、もう考えるのは止める」
  「いいよ、止めなくても。でも、興味はある」
 また私は、私をずるいと思った。常に私は二つの価値を平等に抱えていて、今だって、彼を試している。同じ階へ降りて直接話し合うフリをしながら、私は相手へ失望するチャンスを上の階から伺っている。平等だなんて嘘かもしれない。最初から彼が私に付いて来れるかどうかに期待なんかしてなくて、彼が自分から役を降りてくれるような発言や態度を探している。その為に私は自分を晒す振りをして、感情を見せて内面を触れさせる振りをして、彼を焦りや混乱へと煽っている。嘘であって欲しい。嘘じゃないと困る。男女の間に、人の間に、本当なんて無いんだから。嘘じゃないと。
 嘘であってくれたらどんなに安心だろう。早いうちに手を引くことができれば、私はキレイに忘れてあげるつもりだ。思い出でも何でもない会話。ただのボランティアか情に動かされて、私はこうしてここにいるのだと、納得させることができる。そうしてまた安心の孤独へ入っていける。彼を愛さずに済む。
 孤独は簡単だ。孤独はいつもここにある。


 私はどうやら、正常じゃないらしい。
 まともな顔で、愛だ孤独だと、言えるような人間じゃないから。
 チケットを買う苦労も、今はしたくない。それでも離れられずにいる、そういう比較的非正常な人間。