相も変わらず。

 こいつをここに座らせておく事が、僕らの友情だと信じている。

 洋司とボクは渋谷で映画を観た後、コーヒーでも飲もうと駅に向かっていた。観たのは新鋭監督のサスペンスタッチのヒューマンドラマ。ひょんなことから善良な人間が道を踏み外し、銀行強盗をしている男の人質になる。次第に二人の間には友情が芽生えて……という具合の、よくある映画だ。
 スターバックスが確か駅の二階か三階にあったよね、とボクは洋司に話しかける。いつものことだけど、洋司は映画を観た後は上の空だ。遠くの空を見ながら考え事をしている。出会った頃のボクは、それをいつも不思議に思っていた。
 「あ、うん。良いよ、そこで」


 *


 洋司とはもう5年目の付き合いになる。大学に入った当初、ボクは新しい友達よりも早く、社交的ではない自分と出会ってしまった。サークルだとか先輩後輩だとか、そういった当たり前な大学生活になじめず、とけ込めず、ボクはいつも大学にある図書館の視聴コーナーに入り浸っていた。小さな個室のDVDプレイヤーとディスプレイと一人掛けの椅子。それがボクの大学生活の基本スペースだった。気に入った映画をどんどん見つけながら、それでもこんな毎日で自分は満足なのだろうかと、自問自答する日々が続いて、ボクはついにおかしくなってしまった。
 大学の近くにあるファミレスに入り、ボクはデミグラスソースのハンバーグとライスと、あとデザートにバニラアイスを食べた。ただ、その時のボクは悩み事で頭がいっぱいで、教科書も文庫本も携帯も、未来もこれからの生活の予定も、ましてや財布も持っていなくて、ただ目の前の食事に没頭していた。その後誰かに謝ったり謝らせたりすることを知っていながら、そのスリルを味わってしまった。ボクの唇にはどろりとした黒いソースが塗られていた。
 ぼんやりと窓の外へ視線を向けて、歩いて帰る何組もの人の集団を見送っていると、テーブルの向こうに洋司が座っていた。
 「お前、同じ大学の学生だろ?」
 「そうだけど」
 「悪い、今だけ2千円借りてもいいか」
 隣のテーブルを見ると洋司が食べ終えた食器を店員さんが片付けていて、ソファーには大きく口を開けた彼のものらしい鞄があった。
 「財布、家に忘れたみたいで。それに免許証も入れっぱなしなんだよ。携帯も充電切れててさ、取りに帰ろうにも、どれも人質にならない」
 その時の洋司の表情はよく覚えていない。初対面の人に対してやたらと気を遣う人だというのはその後になって分かったけれど、そういう風にも見えなかった気がする。というか、ボクは覚えていないんだ。洋司がボクを知っていてくれたことの方が、とにかく嬉しかった。
 「んじゃ、ボクが人質になるよ」
 その時の洋司の顔は覚えている。驚いた幼くてまぬけな顔で、今の顔とはだいぶ違っていた。


 *


 まだ洋司は上の空のままだ。何かを考えているのは分かる。それも、さっきまで見ていた映画のことではないことも。
 洋司はやっぱり、許せずにいるんだろう。彼女がいなくなって、今日で5年が過ぎていた。事故があったのは、もうそんな昔のことになっているのに、そういう会話もボクらの間では出来るのに、洋司はまだこうして思い出してしまうんだ。
 「どうして、お前は映画好きなんだ? というか、映画を観るんだ?」
 「ん、どういうこと?」 ボクは視線を人混みから洋司に戻した。
 「映画館にいる間は、外の世界のことが全く分からなくなるんだよ。例えば雨が振っているかとか、救急車で誰かが運ばれているとか、そういうことがさ。ただ座って楽しんでりゃ良い。そこはそういう場所だからさ。でもさ、いつも何かがひっかかるんだよ」
 「それってさ」
 「言うなよ」

 二人とも、黙ってしまった。

 「俺はずっと同じもん観てるんだよ。ずっと映画観てるんだ。繰り返しで。そういう気がするんだよ」
 「知ってるよ。だから、こうしてお茶してるんだろ」

 ボクは洋司と知り合ってから、知ってしまった。自分よりも、本当に孤独な人がこうして現実にいることを。
 産まれてからの孤独を癒してくれたのは、ボクではなくて、洋司の大切な「彼女」だった。彼へ愛情の注ぎ方と、注がれ方を教え込んで、そうして消えてしまった。循環する満たされた暮らしが消えたあの日から、洋司はこうしてずっと一人で、暗くて終わらない映画館の中にいる。洋司はいつも同じ映画の感想を、違う言葉で語ろうとして、その全てを語り切れずにいる。
 だからこうしてボクは洋司を映画に誘う。そして、その後コーヒーを飲もうと誘う。


 「映画が面白いのは、その後に語り合う場があるからだと思うんだよ」

 ボクは人質よりも、やっぱり共犯になりたいんだよ。


 そう言うと洋司は、そうだな、今日の映画は、面白かったな、とだけ言った。視線の先の、ハチ公前は人で溢れていた。