単なる仲良しを超えて、一緒に眠れる人。

 まず、私は私でなくてはいけない。
 他の誰でもない自分、ということを認めなくては始まらない。よく分からなくなる時も多い。でもとりあえず認めてみる。自分は、いるのだ。
 中身が似ている人、印象が似ている人、善悪の判断が似ている人、大切なものが似ている人。似ている所が嫌いなのか、好きなのか。前向き、後ろ向き、執念深い、ドライ、曖昧にしたいかキッパリ決めておきたいか。判断は自分でしたい人?誰かに決定を委ねたい人? 話を聞いて欲しいのか、聞いてあげたいのか。街を歩くなら手をつなぎたいか、そういうの恥ずかしいし家に居る時とかでよくね?って言うのか。なんとなく側にいれたら嬉しいから電話で呼ばれたらすぐ付いていっちゃうのか、明日も仕事なんだよそういうこと分かって言ってんの?とかぐだぐだ言いながら時間かけて出かけるのか。また明日ねって寝たフリするのか。

 私たちはその全てを揃えていて、かつ、瞬間的にはどれかしか表に出て来ない。だから似ていて、そして似ていない人ばかりいる。
 人と向き合うのは怖い。疲れるし嫌われたら辛くて、もうやってらんねーって世界を憎むこともある。けど、そういう繋がりをどんどん切っていったら、どうして自分が産まれてきたのか、生きているのかよく分からんくなってやめる。そういう時に限って友情は輝いて見える。良い奴に巡り会っていたのかーって少し安心して、いつもより早く意識が遠く離れていって、そして眠れる。

 誰が居ようと居まいと、私は居る。誰に求められるでもなく、誰に理由を求めるでもなくて、こうしている。
 誰かと関係し続けようと無理するのは、やっぱり違う。だから自由になさい。


 あなたに私は言う。自分を大事にして欲しい。それは、あなたを大事に思う人たちを大事にすることと、同じだからだ。
 誰かの為に、自分を大切にしなさい。そうすれば少しは、私どうして生きてんの?とかいう問題をやり過ごせるだろう。

 そういう訳で、私は今夜も安心して眠れるんです。皆の寝息で、あなたも安心して眠れますように。