名前は、「特別」な「情報」。

 名前から人物を想像する、その要素になるものは何か。
 まだ自分に子どももいないし、名前をつけたことなんてないけれど、やっぱり名前をつけるなら「どんな人間に育って欲しいか?」って考えてつけるんだろうか。物語の上でももちろんそう考えて良いと思うんだけど、少しテクニックを混ぜ込んだ方が効果的にはなる。
 両親のこと、家族のことが想像できる名前は、「物語の登場人物」では良い名前とされるそうだ。受け手の物語への理解が進むしね。優しい名前なのに見た目が怖いやつとか、名前と実際のギャップを物語のアクセントにしたりするのは、手法としてよく見かける。「名前」が独特だとやっぱりキャラが立つ感じがするし、見てる人が覚えてくれる。物語のタイトルになったりするし、そのキャラクター「みたい」な別のキャラクターにまで、その独特の名前は波及していく。「名前忘れたんだけど○○みたいなやつ」って。
 よくよく考えると、物語を書く上で登場人物につける名前は、愛情よりも計算が先にあるような気がしてきた。名前という皮を被った「物語の情報」だな。きっと。
 なんか書いてて、それってどうなの? と思ってしまった。人間味がないっつーか。でもフィクションだしね。人間味ってそもそもなにさって話にもなるんだけどね……この辺りも作家と一般人との区別する方法なんだろうか。

 ちょうど最近、叔父さんに子どもが生まれて、その女の子にも名前がついた。漢字の選び方とか、呼んだ時の聞こえ方とか、もちろん現代風かどうかとか、いろんな要素が集まって選ばれた名前なんだと思う。ちょうど同じ読み方の友達とかがいて、あの娘もこの子も同じ読み方するって、なんか不思議な感じがする。やっぱり名前って、一人だけのものだから、重要なんじゃ大切なんじゃないだろうか。うーん。

 現実に名前の独特さや、ギャップで特をすることもあるだろう。その逆もしかり。お前がその名前かよ名前負けかよ、みたいなことを言われてしまう人も、悲しいかな、きっといる。本人とその名前はもちろん深く関係あるわけだけど(具体的に意味と実際に関係があるかとかは置いといて)、それを気にするか気にしないかは、周りの人間からの視点に大きく影響される。
 名付けるということは、つけられた本人はその名の影響を他者から与えられ続けるんだよ、と思わねばなるまい。その名前と本人は比べられ続けるし、その名前の漢字からひらがなから、それをスイッチにして周りの人は頭の中で本人を想像する。メールも電話も、まずその名前が表示されるし、病院でも結婚式でも会社でも、その名前が本人を表す「音」になる。

 なーんだ、結構日常でも名前って「情報」じゃないか。

 でもなんでだろう。一人だけのものっていうのが、名前の特別感を表しているような気がするんだけど、その特別な感じって、どうして大事にしたいんだろう。なんで特別なんだろう。どうしてだろう。

名前をつけてやる

名前をつけてやる