にんじんの芽。

 コウチ君が何処からか拾ってきた種が芽を出した。
 コウチ君はそれはそれはその芽を大事に育てたそうだ。雨の日は傘をさしに、風の日は囲いをして、日に日に伸びていくにんじんの芽を、毎日眺めて暮らしていた。
 ある日、隣家の牛飼いのアルトさんがかごにジャガイモをたくさん抱えて、村はずれのコウチ君の家まで来た。
 「コウチ、コウチ、どこだい」
 コウチ君は両手にいつものようにジョウロを抱えて、背中でドアを押して出てきた。
 「やぁコウチ、今日もにんじんに水やりかい?」
 コウチ君はうなずくと、アルトさんににんじんの芽がどれくらいの長さになったか、両手を高くのばして教えた。
 「そうかいそうかい。そりゃ、にんじんも嬉しいだろうね。どうだい、今度はこのジャガイモを育ててみないかい?」
 そう言うとアルトさんはかごから一番小さいジャガイモを出して、コウチ君に渡した。
 「小さいジャガイモはね、食べるには小さいけど、育てるとたくさん実をつけるんだよ」
 コウチ君はふむふむとうなずき、アルトさんから小さいジャガイモを受け取った。
 「がんばって育てるんだよ」
 そういうとアルトさんは林の向こうの隣家まで帰っていった。

 コウチ君はにんじんの側に今度はジャガイモを植え、どちらにも優しく水をかけた。同じように雨の日は傘をさしに、風の日は囲いをして、日に日に伸びていくにんじんの芽と、小さな芽を出したばかりのジャガイモを、毎日眺めてくらしていた。

 しばらく経ったある日、コウチ君住む町にも軍隊が来るようになった。町の男達は兵士としてかり出され、コウチ君に優しい羊飼いのユーリンさんも、靴職人のキクニさんも、牛飼いのアルトさんも、みんな戦場へ出て行ってしまった。町の男達は消えて、残ったのは老人達と、女達、そして歳の若い子供ばかりだった。

 遠くの空が茜色に染まり、大雨が過ぎた夏のことだった。戦場から男達が帰ってきた。彼らは全員運が良い者達で、あるものは腕を失い、あるものは眼が見えなくなって、帰ってきた。
 アルトさんも運の良かった者のひとりで、耳が聞こえなくなって帰ってきた。
 「コウチ、コウチ、どこだい」
 コウチ君はまた背中でドアを押して出てきた。
 「コウチ、コウチ、じゃがいもはどうだい?」
 コウチ君はアルトさんの手を引いて、にんじんとジャガイモのある庭へ向かった。
 「コウチ、大きくたくさん、育てたね」
 庭には多くのにんじん、じゃがいも、そしてその他の野菜が豊かに実っていた。
 コウチ君はアルトさんにその内の幾つかを収穫して、渡した。
 「ありがとう、コウチ。牛は売ってしまったから、私も育ててみるよ」
 コウチ君は笑顔でアルトさんに、がんばって育てるんだよ、と口を動かした。