良い子を褒める。

 仕事先の大学生の子が風邪をひいてた。

 帰り際に小さく、こほん、と咳をする彼女を見る。相手の体調に気付けなかった自分を叱りたい気分になった。咄嗟に「お大事にね」とは言ったけれど、今日一日の間にもうちょっと出来たことがあったんじゃない?と反省。そういう時も笑顔で「ありがとうございます」とか言う良い子だから、余計に。
 良い子は大事にする。褒めてあげたい。彼らを褒めるのは簡単ではないから、難しいんだけど。
 私は彼らに対して、気付かれないように視線で追いながら、もしくは視線を外して見えない気配や雰囲気を感じながら、でもそれを悟られないように振る舞う。彼らは周囲に対して、自分が「良い子」であると表現しているのと同時に、周囲の情報をどんどん飲み込んでしまう「繊細な子」でもあると思う。こっちが優しくしようと押し付けてしまうと、それは逆効果で疲れさせてしまう。
 褒める時、「良い子」を止めさせよう、とはしない。例えば「もっと遊んだら」とか「わがまま言って良いんだよ」とか。それが望みの子も中にはいるけれど、それは単に甘やかしているだけと思う。彼らを子どもに戻す行為のように思う。仕事が関わっている以上、それが本人の為になるかどうかも分からないし。いわゆる「大人役」や「良い人役」は、決して損をしている訳じゃない。子どもに戻っても大人の頃の苦労が解消されたりしない。単なる逆は、真の「答え」じゃない。
 自分が良い事をしていて、それにやりがいや楽しさを感じてもらいたい。「良い子」は決して誰かの世話を焼くつまらない役割なんかじゃなくって、誰かに感謝されている尊い人間の姿なんだよ……ってのは堅苦しく言い過ぎかも。でも、良い子なあなたに感謝している人が大勢いる。普通で当たり前のことをしているように見えても。感謝している人はちゃんといる。
 時間や給与や肉体的疲労なんかの物質的な差を、他人と比べると損みたいに感じるかもしれない。なんであたしばっか疲れてんだろう……って。でもそれだけが価値基準じゃないから。それを押し付けるつもりも無いんだけど、だから褒めるのは難しいんだけど……、どうか「良い子」の自分を好きでいて欲しい。
 
 具体的な方法論が無い所が、一般化できないポイントで。だから彼ら彼女らとは関わり方をひとつひとつ大事にしていくしかない。結局答えは出ないけど、褒める意識を維持していく為にも、書いてみた。