今の話も昔話に。

 今は福岡で勤務している大学の友人と電話。東京との距離を改めて感じる。
 特に何を話さなきゃって訳じゃないのはお互い分かっているけど、いっつもこんな感じに。話すことって、話していること自体が楽しいから続くんだよね。携帯の通話時間が表示されて驚くけど、まぁ、そういうことで。
 二度も別れた男からまた連絡があって、ヨリを戻したい……ってさー。世の中甘ったれた男ばかりで嫌になるねぇって、少し歳をとった会話。二人とも言葉のテンポが少し遅く、ゆったりしてきた気がする。昔はもっとメリハリも堅さも流れもあって、それはそれで良かったけど、今も悪くない。
 彼女はきちんとした職(といっても制作系だから変動もあって忙しいけれど)に就いて、私は相変わらず物書きに原稿に向かいながらふらふらになりながら生きている。自分なりの理屈や信条なんてのもあるけれど、それはそれ。お互いの今の暮らしを想像すると、あの頃から続いて今に至る当たり前の過程が、なんだか不思議に思える。
 あの頃の私たちは、本当に今の私たちを見て、目指して、未来へ生きていたのか?
 これはNOだろう。お互い大事な物を抱えながら、でも途中で見つけた同じように大切なものも抱えながら、歩いている気がする。明確な目的や野望や、もちろん語らないだけでお互いあるけど、そういうものに今を縛り付けず、流れを見つめながら生きている気がする。計画性があんまり無いのは、お互いに良くないねぇとは思うけど、ダメだとは、思わないなぁ。
 必死になることを悪いとは思わない。けれど、効率や合理の世界にだけ生きている訳ではないと、そう思うし。でも得したら嬉しいし、慎重に努力を重ねて得た結果は賞賛するべきされるべきものだと思う。でも、どれくらい幸福かを、数字や順列で比較し合うのは虚しい。でも、やっぱり気になる気持ちも、分からなくない。
 自分が純粋じゃない人間だけに、楽しい、嬉しいと思うことには、その時くらいは、純粋に感動していたい。
 
 つまりまぁ、距離と共に歳とったなぁと。

 最近読んだり買ったりしたもの。

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

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みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。勝つ広告のぜんぶ

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愉快なピーナッツ

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