さんさんと、輝いて

 二人はただ黙って、歩いていた。
 昭穂と俺は、共通の親友の彼女の舞台を観に出かけた。その帰りに。お互いにもう舞台の感想は言い合って、そのあと呑んで帰る?って返事にもただ昭穂は、うん、とだけ言って。あとはただ帰っていくだけの、静かでスピードの出ない、生温い風の吹く帰り道のことだった。

 「このまま、何処か遠くに行こうか。それか、結婚でもしようか」

 昭穂はただ、そう言って自分の眉間を少しなでた。定まらない視線を隠すように。俺は詳しく語ることはできないけれど、昭穂から何かを受け止めた気がした。きっと、昭穂はもがいているんだ。
 
 今夜見た彼女の舞台は、昭穂にとっても俺にとっても、とても意味のあるものだった。昭穂の書く物語は常に空想の域を出ないから、それが生身の人間によって演じられる時に、こぼれ落ちていくものがある。そのこぼれ落ちてしまうものが悪いわけではない。それこそ昭穂の持ち味と、俺は思う。そこを俺は好きだし、昭穂の一番大切にしているものなんだと、そう思う。ただ、今夜の舞台にはこぼれ落ちていく感覚が全くなくて、人の汗と息づかいがとても心地よい空気を、空間を生んで、俺には難しくて言葉にできないけれど、季節が変わっていく時、みたいな気持ちがしたんだ。昭穂はそれが自分には出せないと、知ってしまった。そして俺は、昭穂がもう随分と、新作を書いていないことを思い出した。
 数台のタクシーやバスが俺と昭穂の側を過ぎていく。ヘッドライトが眩しく顔を照らす。昭穂の後ろには長く影が延びていって、俺の心臓のあたりに頭の丸い形が近づいた。

 「結婚したら、昭穂はどうするの?」
 「いい、奥さんになるよ。料理とか、ちゃんと作れるようになるよ」
 「料理ができたら、どうするの」
 「こどもでも、つくる?」

 もう、これ以上はやめようと思った。昭穂はもう嘘をつき始めている。いつもこうやって、本当のことの中に、嘘を混ぜ込む。それは彼女が生来の語り手だからとか、生まれついての演出家だとか、そういう冗談はもう今は話せない。このまま彼女の心がより底へ深く埋まっていくのを、黙っていることで防ぐことしか、俺にはもう、できない。
 なんて、無力なんだろう。

 彼女と別れる、一番最後の交差点。いつもこの交差点のコンビニでだらだら話すのが決まりだった。今夜は、それもできそうにない。でも、必要なことはきっと、ここにしかない。

 「結婚したいなら、俺も昭穂と結婚したい」
 「うん」
 「でもその前に、昭穂の、本当に欲しかったものを、知りたい」

 それは、簡単に買えたりするものなのか、誰かから奪うようなものなのか、もがいてもがいて、それでも手に入らなくて、気持ちばっかり焦るものなのか、俺にはそれくらいの想像しかできないけれど。今ここに、それはある気がする。昭穂、俺の言っていること、伝わってる?

 「欲しいもの、何?」
 
 昭穂は黙っていた。そして、黙って歩き出した。昭穂を追って歩き出す。
 
 「今は、やっぱり少し時間が欲しいよ」
 
 昭穂はコンビニへ入っていった。
 
 「もう少し、手を伸ばしてみたい」


 昭穂の手を自然に握っていた。その感覚は、もうずっと昔に忘れていたような、幼く弱い柔らかさだった。