崩れ落ちる豆粒

 思い出の中はいつも暖かい。
 幼い頃の風邪の思い出と言えば、兄が買ってきてくれた羊羹の味だ。頭痛と微熱でいつ世界から浮かび上がるか分からない私にとっては、唯一地上の食べ物のように思えた。
 兄がくれるものはいつも私を喜ばせた。兄はまるで私の心を開いて見たことがあるように、興味を持つものを用意してくれた。どうして分かるのだろう? その理由はいつも教えてもらえない。秘密を探ろうとしても、どうしてだろうね、と兄はいつも笑うだけだった。

 私が18になった年の冬、兄は突然私の元から居なくなった。今夜は雪が降ると天気予報は告げていて、母が朝ごはんを作りながら兄と私に早く帰ってくるようにと話した時、兄は笑って「大丈夫」とだけ返事をしていた。そのまま兄が帰って来ないかもしれないという想像より、その日の帰りの電車が泥と溶けた雪で汚れていくのを想像する方が現実的だった。

 あれから七年。私の足下はあの日以来濡れていくばかりで、一向に乾かない。
 父は一人静かに、兄の写真の前に羊羹を供えていた。私はそれを忘れないだろう。