訓誡の宴

 丸い月の出た夜。集まったのは14人の修道僧達。そして長老が一人。
 一人目の、一番若く、この道へ入り一番日の浅い修道僧がこういった。
 「私は今朝、コミュニケ−ションが遠隔であることに腹を立ててしまいました。この世界の全てのものが、もともと言葉ではないものだったのに、それを伝える為には声や身体でも元々足りない所を言葉ばかりに頼り、まるでそれで全てを伝えきったかのように興奮し、伝わらないことに失望し、嫉妬し、憎み、呪い、かつ自分を全くの正しい者のように考え、相手の不理解を責める人間を思い出したからです。それは遠い昔に会った男でした。いつも暗い部屋に帰り、そこで寝泊まりし、そして陽の光を避けて出歩くような仕事をしていました。彼と他人との交信の手段が限られていたのは仕方有りません。しかし、私はどうしても納得がいかなかった。今朝の朝露が木々を濡らして輝く様を見た時、私は言葉にできないものの存在を確実に感じ取れたからです。どうして、こんなにも心震わせて身を清めてくれるような空間が広がっていることを言葉にできようか。言葉に全てをおさめられようか。そう思って男のことを思い出してしまったのです」
 これを聞き長老は答えた。 
 「言葉は形を持たないものだ。いつか分からぬものを、いつかと呼び、無限に終わらないものを、えいえんと呼ぶ。ゆえに言葉は有益なものだ。しかし形は無いものなのだ。無いものと考えること、それを自身の習慣としなさい。それが難しいのなら、お前が朝見た木々の露のように、霧の姿をしていると思えば良い。言葉を、その相手を憎むことしかできないのなら、愛すことしかできないのだから」

 若い修道僧は長老の祝福を受けて、一人で僧庵を出て行った。扉が閉じた後、次の修道僧が告白を始める声が聞こえた。だが振り返らず、足早に階段を降りていった。
 若い修道僧は考えていた。
 彼の中で長老の言葉と自分の言葉が何度も巡る。そして懺悔の前の、最初の結論に至る。
 言葉で答えを探る限り、どちらもできないということに。