自分を大切にする必要。

 無理をすることと、無理をしてしまうことは違う。
 どちらが良いか、今まで間違っていたような気がする。「すること」は、自分で選んで無理をしていて、例えば困っている人がいるとか、何かの目的を達成したいという意志のために、自分から無理をするぞと気持ちを盛り上げていた。「してしまう」ことは何処かに意志の弱さがあって、断りきれなくてとか、断ることから始まる様々な不安や心配を恐れて、状況に巻き込まれていくことなのだと思っていた。これが今まで。
 今までの考え方には、何処か「無理をする」ことが美しいことや、格好のいいこと、大人のすること、感謝されること、自分に酔えることだと、思っている節が有って、メリットがたくさんあるようでいて、実は軸になるような理由の核が無かった。つまりは自分に力が無かったせいではないかと。簡単に言ってしまったけど。

 今は逆なのだ。「すること」は、無理をすることでしか自分が相手の役に立てないのだと、自分の無力さや弱さをアピールしているようで嫌いになってきた。むしろ、大切だと思えることの為にいつも行動しているのならば、いつ始まったのか分からないように、いつのまにか「無理をしてしまう」のだ。後でそのことに気付くだけだ。自分から「無理をしよう」などと思っているうちは、自分の成長を何処かで限界に感じている所があって、それは一緒にがんばっている周囲の人に対してとても失礼なことなのだと、今は思う。
 無理をしてしまうのに気付くことは、本当はそんなに多くなくて、いつのまにか乗り越えてしまう。そういえば昔はできなかったよなぁと思い出すことができて、そういえば無理してがんばってたのかも、と懐かしむことができれば、それはその分自分が成長したことなのだと、思う。

 今までは自分を大切にすることにあまり意味を感じなかったけれど、これからは自分を大切にすることと周囲の人を大切にしていくことが、実は両立できるものなのだと言葉にして理解できたので、そういう行動を軸にしていこうと思う。
 たぶんこういう人間関係が、より安定して生産的な関係なのだと思うから。