交渉は自尊心の回復と繋がるか?

 交渉するということは、何かを試すことに似ている。
 例えば相手との関係だったり、自分の安定だったり非安定だったり、これから先の出来事の可能性だったり。本人の「周囲と自分への甘さ」がどんな種類のものかを知る機会にもなる。何かを許すことと、許さないこととも似ている。
 問題は何を基準にその本人が交渉をするのかということだと思う。何を本人の生き方の上で、基準として固めるのか。それによって何処まで本人が交渉を努力するか。交渉をあきらめるということは、その交渉の時に基準としたものをあきらめる、つまりはその基準が人生の上で大きなものであればある程、それは自尊心の低さを意味している。
 「ゆずれないもの」を、自分は常に心の中で交渉しているように思う。これでいいの、このままでいいの、と。
 葛藤がドラマの根幹に関わるのは、様々な「ゆずれないもの」が本人が本人である理由を示すものだからかもと、今更ながらまた思う。