星がきれい。

 こんな日でも、星は美しい。
 こんな日だから、星がきれいで良かった、とも思う。

 以前書いた文章の断片が残っていて、「星がきれい。」とだけ短くタイトルが付けられていた。
 その時の私は何を書こうとしたのだろう、綺麗な何かを書こうとしたのか、それとも、その反面を書こうとしたのか。
 あの時書けなかった言葉は、今どこにあるのだろう。あの時の出来事は、今どうなったのだろう。あの時眼をそらされたあの人は、あの時言葉を飲み込んだあの人は、あの時、あの時……。過去を振り返れば切りがない。あの時の選択は正しかったか?そんな疑問に取り付かれている暇があるんだったら、外へ出ろ。空を見ろ。星は、きれいにそこにあるのだから。あの時から変わらず、今も変わらず、君は生きているのだから。私は生きているのだから。今生きているのだから。

 言葉を書いていると、その時々の自分の考えていることがよく分かる。
 同じものを題材にしていても、その時々の、肩入れする側面が変わって、良い意味でも悪い意味でも、視点が固まってくる。自分はこういうことを考えていたのか……。
 それが分かる出来事は、世の中にどれだけあるだろう。選択を迫られて、どちらかを選ばなくてはならなくて、けれどどちらを選んでも苦しい結果に繋がりそうだと見えていて、けれどその上で選択を強いられるような状況。決して楽では無い状況。また失ったと、気付く状況。その繰り返し。心が固くなって、耐えることを第一に考えるような状況の連続。
 全てを投げ出さない為に。自暴自棄にならずに、大切なことを見極めなくてはならない。目先の安心にすがり続けて生きていくことは難しい。いつか糸は切れる。もしかしたら、あの罪人のように自ら糸を切ってしまうのかもしれない。その時は楽だろうが、その後に待っているのは更に大きな苦しみと後悔だ。
 だからこそ、きれいなものを見たい。すぐそこに、美しいものがあることを、覚えていたい。

 美しいものは、それだけで全てを救う。
 美しい青空、美しい夕暮れの空。音楽、旋律。懐かしい声を聞く事。新しい時代の人々の考え。感情を置いておくことと、感情を入れ込むこと。
 ふとした優しさや厳しい言葉。諦めない人の努力。上手く回らない現実を、明るく解釈していく心の力。誰かの言葉。
 美しいものを信じる。
 それらを呼吸して、吐き出す。風と流れて、それを誰かも呼吸する。
 美しさを見つけ合い、教え合い、味わい合いたい。
 私も誰かにとっての、救われるような美しさでありたい。心を洗濯する音楽でありたい。眼を潤す言葉でありたい。暗い心を照らす、美しい星でありたい。
 そうして生きていきたい。