見直しは必要。
何を振り返ろうというのだろう。
自分が過去に書いた記事を読み直しつつ、記憶を辿っていた。旧友にあったこと、大久保の街を歩いたこと、表参道、渋谷の居酒屋、明日の神話、井の頭線、中央線、瑞江から帰る地下鉄、スーツケースを引きずって、結婚式、入学式、別れと別れと出会いと、あの頃、あの時、どうしてあんなに希望があったのか。今はもう、無いとでも言うのだろうか。
今の私が過去の私を否定しようとする。あれは無謀、無知、世間知らずなんだと。それに対して、過去の私は反論する。
「じゃあ、それらを削ぎ落として君は、豊かなの?」
私は上手く答えられない。ただ、要らない苦労を背負い込もうとして、孤独に突き進んでいるだけかもしれない。豊かさにはいつも代償があってしかるべき、しかしそう思う必要は何処にあるんだろう。ただ生きていくことだけで豊かだと言える強さは無く、かといって物欲にまみれている気もしない。欲しいものを求める野心や嫉妬心も弱く、清貧さを受け入れる心の中の広い土地は、たちまち霞で隠れていき次第に見えなくなる。
行っては戻り、戻っては進み、進んだ先で現在地を見失う。
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豊かさを求めることは、ただ豊かさを求めることである。その為の努力をするということ。
何かを捧げることでも、明け渡すことでも無く、先に代償から支払うことでもない。
ただ、求めるものが何であれ、尊厳を持ち、殊勝な行いを心掛けること。
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心の良い人であろうとすれば、どんな悪人でも良い。気持ちの、良い人であれば。