ニュートラルな心境。
初めて下北沢へ。
案外近いことに驚く。そんでもって、京王線が綺麗で、関係無いけど嬉しくなった。
入り組んだ街の中に幾つものお店があって、気温も暖かくて、ゆっくり歩いた。
幾つかのお店に入った。
気になったのは、五十音揃った活版印刷のようなスタンプと、時計の内部構造を取り出して、指輪にしたもの。
教材や化学器具の売っているお店もあって、楽しかった。
お互いに、温度計を入れるプラスチックのケースを、懐かしいねぇと、年の差も感じずに言い合う。
お目当てのお好み焼き屋さんがあったのだけど、火曜日はお休み。少し残念だ。
近くでクレープを買い、暖かい空気の中、外のベンチで話す。
*
無性に、今、この時間を写真に撮りたいなぁと思った。
撮った所で、撮らなかった所で、残るものは残るし、そうでないものはそうでないのだ。分かってる。
いくらリクエストされた料理を作っても、食べ終えてもらったら、それは身体や熱に変換されて、残らない。見えなくなる。
だから、写真に撮りたいんだなぁと、思うのだろうか。どうだろうか。
例えば、誕生日のプレゼントに何をあげよう?と考える時に、なんとなく、日用品や消耗品を外して考える。
結局、日用品だったり消耗品だったりしても、今この人の辿ってきた文脈に沿ったものを選んでいる。
なんとか、残らない、ということに抵抗しようと、少しでも、記憶に残ろうと必死だ。
けれど同時に、残らなかったら、それはそれでなるようになるだけなんだなと、思ってしまう。
そうやって、いつまでも、執着の芽は、育たない。
*
何が何処に落ち着いていくのか、やっぱり分からないし、
何処に落ち着いていっても、それはそれで、たぶん正解だと受け入れるだろう。
大人になるって、今出来ることを、今やろうとすることの、連続だと、思い込みたい。
そうやって、今の自分の行動を、肯定して進んでいきたいのだと思う。
やれることを、やるだけさ。