水の戯れ

 読み終えました。

水の戯れ

水の戯れ

 岩松了さんの戯曲は初めて読んだ。やっぱり言葉の繋ぎ方が心地良いと、物語が浮かび上がってくる。電車の中で読み切れず、降りたホームで読み終えてから家に帰った。とてもドキドキしてしまった。これを実際に演じて眼の前で見せてもらえたなら、どれくらいのめり込んでしまうんだろう。
 現実を切り取ったほど乱暴ではなくて、物語る材料の言葉を言わされてるようでもなくて。物語の進行するスピードと人物の呼吸と会話の流れ方が自然にイメージできていく。浮かんでいく。


 失ってしまった人間関係を思い出すことがあるだろうか。
 例えば、幼い時の友人。進学、卒業、クラスが変わり席が変わり、なんとなくつるむ「アイツら」も、一緒に帰る「みんな」も変わって、なんとなく疎遠になる人達。どちらかが嫌いになったとか、特別な感情も無くて、時間が合わなくなって、今はもう側に居ない人達。
 例えば、死んでしまった家族。

 自殺は、私と家族の中心に、大きな穴を開けた。その穴は見えなくて、でも普段は何も無いのと同じだから、なんとも無いんだ。誰も語り出したりしないし、誰も答えなんて知らない事だから。
 でも私はそれを抱えているのを、ちゃんと知ってる。今日はお疲れって乾杯してても、つまらなすぎる冗談にクスッと笑っても、穴が開いている。どうして、いないんだろう。


 分からないものを抱えて、でも、人を好きで。ここにある愛情がたとえ、大きな穴を埋めようとしても、私は人を好きになる。
 純粋なものなんて無いと、その時は自分を許すのかもしれない。誰かを愛するのは、結局は自分本位なものだと。元からそうだったんだと。だから、これは愛なんだと。


 まだ諦めるとも、認めるとも決めていないけれど、未来には待ち構えている疑問なんだな。「水の戯れ」は、私に立ち位置を探させる。大きな穴を避けては通れないのだよ、と。
 面白かったです。