でこやんというニュアンス。

 ついこの間、映画「鈍獣」が公開したらしいね。
 映画はまだ観てないんですけどね。「鈍獣」の戯曲はとっても面白かった。宮藤官九郎氏の作品を観る時にだいたいいつも感じている友達とか友情とかいう王道なテーマの匂いが、「鈍獣」の場合は濁っていてドロッとして、少々臭いというか、汚れていて気持ち悪くて、だからこそ、そそられるというか。ゴルゴンゾーラっていうんですか、そのものを直接食べたことは無いんですけど、あぁいう系なんです、自分にとって。臭いから好き、臭いから嗅いじゃう、みたいなね。
 なかでも「でこやん」というあだ名の意味を伝える為に、ニュアンスを言い並べるくだりがあるんだけど、良いっすわー。馬鹿でもなく情けないでもなく、変わっているというよりもむしろ普通な、「でこやん」。最後に当たりっちゃ当たりとして出てくる、いちばん近いニュアンスが「鈍い」という感覚。
 あだ名とかそうそう意味不明な由来で付いてたりするよねーあるあるーな世界から、急落して気持ち悪さがブワって漂い出す言葉選び。純粋に観覧してる人も、ちょっとした奇妙さや狂気の端っこを踏んだ気持ちになるし。先読み深読みが好きな人はそれを書いてる作家の脳みそを覗き込んだ気持ちでドキドキしちゃう。良いっすよ狙い通りに読み進めてあげますよーみたいに、分かっててハマる罠みたいな。読んでてすげー楽しいです。
 
 映画も面白く出来上がってると良いね。でも、劇場の空間内で「お客さんと作り手の、ここだけの内緒話」みたいに進行するからこそ演劇は面白かったりもするので、分かりません。どちらから触れようとどちらを楽しもうと、「鈍さ」にドキドキできたら良いのだと思いますわ。劇場の中やDVDの中だけに留めて置かずに、面白い物語はどんどん解釈されて変換されて、皆でしゃぶりつくすのも、一つの楽しみ方だと思うし。
 メディアが変わり時期が変わって作品に触れる機会も多くなって、昔の自分みたいに地方の街角でくすぶってるような高校生中学生小学生に、変な世界覗いちゃったけど意外と心地良い!みたいに思って欲しいものです。

 でもねー、やっぱ鈍い人って怖いよね。覚えてないとか、忘れてるのかなぁとか、恍ける訳でもなく身に覚えが無いのって怖い。本人がというより、それに巻き込まれた人が一番感じてしまうと思う。もうどうすりゃいいかわからんもの。自分はとてもよく覚えていて、相手もそうだろうと何の不安もなく確信している時にそういうことがあると、もうね。とりあえず大人らしくスルーしてみたりするけど、そうやって闇へ忘却へ放り込まれた事実達が、一体今何処でどうしているのか、考えると頭が痛いよね。放り込まれた彼らはどういう気持ちなんだろうか。頭がおかしくなりそうで、普段は覗くのを止めてるけど。
 結局好奇心にそそのかされて見つめちゃうんだ。そこには「でこやん」みたいなのがたぶんいて、「もうおしまい?」って聞くんだろーなー。

鈍獣

鈍獣