自分になる為のルーツを探して

 私に今、選ばせている意思は、何処でスイッチを入れられたのか。
 友達が自分で服を作りたいと言っている。店を持つとかブランドを立ち上げるとかでは無くて、普段の生活で自分が気に入るものを身につけたい、ということのようで。それは確かに思う、もっと短くて良いなとかゆとりが無くて良いよなとか、買ってからだんだん気になることって多いもの。気に入るものを買うのって、やっぱりデザインとか視覚的なものに大きく左右されがちだ。どんな種類のどんな場面で着るものでも、体感的に良いってことも重要だろうに。
 お金に余裕があれば全て測ってもらって、その瞬間に身体に合うもの、しばらくの間は自分にとってベターな物を、作ってもらえるのかなぁ。
 でもさ、やっぱりそこにはある程度しか自分の理想への要求を込められないと思う。人を介して作り上げるものには絶対の終わりなんて無い。一人でコツコツ作るものにだって限界があるくらいなのに。集団で作るものは、思っていたより良いものは出来るかもしれないけれど、それと欲しかったものは違うんじゃないかい。最初に欲しいものは、とてもとてもプライベートで恥ずかしくて懐かしくて、それでも自分ひとりの世界に居る時は身につけたい、妄想と憧れと安心と甘い甘い逃避が混じったような、そんな服じゃないのかい。それが出来上がることは無い気がする。
 自分しか楽しくないものが世界に溢れていたら迷惑だし問題だけれど、自分で作って自分で着る服がひっそりとクローゼットに数着あっても問題では無かろう。
 どうして今自分は、人に用意された物で満足出来ているのか。そして出来ていない幾つかのものは、どうして我慢できないのか。考える。
 人の作った物語は面白いのだけれど、どうして自分で書いているのか。それはやっぱり、満足してないんだと思う。もっと苦しくて楽しくて終わるのが悲しくて駄々を捏ねたいような暗くて希望に満ちあふれた話を読みたいんだ。鬱でも躁でもどっちでもよくて、いやらしくても汚くても優しくても眩しくても良くて、それでいて興奮し過ぎて次の日に憂鬱、帰り道には次の獲物を探すみたいな、そんなんが読みたいし観たいし演じてもらいたいのだ。
 小さい頃に思ったのは、つまらなければ面白いものを作りなさい、と育てられたこと。特に何かを教わったとかではないんだけれど、こどもながらに腑に落ちたんです。無いなら自分で作りなさい、文句を言うだけでは何も進展しないと、教わったことがたぶん理由の一つ。
 自分をさらけ出す快感も、幼い頃に感じていた気がする。それが褒められようと笑われようと、自分の考えを露出するのに、快感がありました。不純なこどもだと、その頃から負い目みたいなものも感じていた気がする。こどもらしくない、って。今思うとそれこそ幼くて笑えるけど。
 何処でスイッチを入れられたんだろう。もっと我慢出来る子に育てば、幸せの見え方も違っただろうに。
 生まれちまったものはしょうがないので、楽しむのが良いと思うけどねー。



 最近買ったもの、読んだもの。

新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには? (P-Vine BOOks)

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あおい (小学館文庫)

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黒と茶の幻想 (上) (講談社文庫)

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黒と茶の幻想 (下) (講談社文庫)

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星はまたたき物語は始まる―科学と文学の出逢い

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 これらのラインナップから、自分が何処へ向かいたいのかを考えてみたりする。自分の本選びの基準も、誰に影響を受けたんだろう。