スコットランドヤード・ゲーム、他、二冊

 読みました。

スコットランドヤード・ゲーム (小学館文庫 の 2-1)

スコットランドヤード・ゲーム (小学館文庫 の 2-1)

 もうね、自分は馬鹿かってくらい、読むもの全てが面白い。これも満足。楽しかったー。
 理由はきっと、自分の人生に関係あるものなんだ!とか読みながら自然に考え始めるからなんだと。一般的に受けるとか受けないとか、そういう次元ではなく、読んだ本聴いた音楽観た映画、全てを血肉に変えようとする自分がいるからなのか。うーん。でも、そういう意思とは無関係に、何か大きな縁のようなもので、繋がっている気がしたんだ。扱っている題材とかね。

 とても好きな人がいる。その人は過去に恋人を亡くしている。でも、それでも好きな自分がいる。
 もの凄く身も蓋も無く言ってしまうとこういうことなんだわ。怒られそうだな……。物語上大切な所は、「それでも好きな自分」が自身の恋愛感情に抱く、「依存や癒しなんじゃないか疑惑」。歪んだ愛に、今自分は染まろうとしているんじゃないか、っていう疑惑。
 そしてもう一つ。人を愛する事は、自分も周囲もその物語の中に縛り付ける。それが満足のいく成就を辿れば、良いだろうね。でも、そういうことばっかりじゃないから。縛り付けられた周囲と自分は、それを美しい物語に成就させたいが為に、たとえ悲劇だとしても、その物語を美しく形作ろうとする。

 そういうことなら、自分もそうだったなーとか思う。母を亡くした時、当時付き合っていた人とは、そんな物語に向かおうとしてしまった。全ての不幸が自分の背中に注がれている気がして、そんな自分を許せなくて、余裕無くなって、そして破滅。破滅ってほどひどい終わり方でも無かったけど、今思っても、あの当時の自分はサイアクだ。でも、それでもその人とは繋がっている。親友みたいな、家族みたいな、関係です。人生分からないね。

 辛い思い出、苦い記憶、それらは私たちの人生の隙間、合間、転機に入り込んでくる。
 物語はそういうきっかけの何処かで幕を閉じるのだけれど、私たちはそうはいかない。やっぱり生きていくし、生きていってしまうもの。
 だから、新しい物語をまた、始めないといけないのだ。嫌なら死ぬしかない。でも、できたら生きてみて欲しいな。死んだら何も変えられなくなってしまうもの。本人には。
 残されて、たった一人で始めるよりも、二人の方が、楽しいじゃない。ねぇ?


 他に買ったもの。

沖で待つ (文春文庫)

沖で待つ (文春文庫)

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論 (岩波文庫)

 沖で待つ、は絲山秋子さんにハマりそうなので購入。
 詩学、はモロに「スゴ本」の影響です。シナリオの再勉強がしたくなってきた。気になる方はブックマークからどうぞ。

 そうそう、同じ本を取り上げてしまうあたり、newdeepさんとは気が合うのかなー、とか思ったりする。彼の恋愛の行方を密かに見守りつつ。