からっぽのこと

「モテたい理由」読み終える。

 やはり一度この日本の外側に出てみないと、国の内側に充満している「可笑しさ」や「継ぎ接ぎ」が見えて来ないのかなと思う。赤坂真理さんは留学経験や両親や周囲の人の影響から感じとったのかな。自分の場合、やっぱり周りの人に上手く混じったり真似たり従ったり(良い意味でも悪い意味でも)出来なかったので、漠然とした居心地の悪さから逃げるように知識や表現に手を伸ばすようになって、それらのおかげで今なんとなく共感できている気がする。著者の視点を笑いながら読めたし。もちろん自分もその笑われている中に当たり前に入っているのだけれども。
 明確な言葉で伝えられなくても、きっと皆何処かで周囲や世の中や世界が変だ、変だ、って思っているんじゃないかな。こういう淡い期待は大抵期待でしかないのがとても残念だけどね。
 やっぱり学校の中も変だった。制服を着るのも教える者と教わる者の関係自体も変だ。そこにプロテスタントだ礼拝だ聖書だキリストだと入ってくるとさらに変な気がしてくる。私はキリスト系の学校出身だった。そこを通過するしかなかったあの頃の自分は、今の自分と似ているが別の人物だ。
 卒業してからの人間の扱われ方も、社会に出てからのお互いの扱い方も、なんとなく変だ。これは個人の見解ってことで許されると思うんだけど、やっぱり一夫一婦制って、変だよね。それはあらかじめ各々個人の中に希望や理想を前提として持っていて、その表出する形としてパートナーと選び合うべき制度であって、産まれた頃から制度が前提では、ないんだもの。
 だから男の人はいつまでも、「愛する人は一人だけ(のような気もする)。」みたいになっちゃう。そしてそれに罪悪感を感じてしまったりする。
 いいじゃん誰をどれくらい愛しても。どの人をどんな風に愛しても。考え無しにセックスしたり求愛したりは愚かだけど、自分の愛情について周囲に従うだけで愚かなままなのも、同じように私は嫌いだ。


 当たり前のように暮らしの中に並んでいた多くのものがとても不格好でバランスを崩していて、でもそれに慣れきって生きている自分を誤摩化せなくなってきた。そんな印象を受けた。
 とりあえず、おもしろかった。