明け方のまぶしさが無ければ良いのに。

 私があの部屋に出入りするようになって、ひと月。
 京子さんにあったことは、本当に不幸だと思う。丘の上の看護施設に勤めている京子さんは、それは働き者だった。人の世話をする楽しさなんて、私はこれまでずっと知らなかったけれど、京子さんはきっと、生まれながらの世話好きなのだと思う。誰かの為に働くことが、どう巡り巡ったら、自分の楽しさにそのまま変わっていくんだろう。今でもよく分からない。ほんの少しは、私が京子さんの世話をするようになって分かってきた。きっと、居場所があるって、分かることなんじゃ、ないかな。

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 真希は最初に会ったときは、とてもおとなしくて、声も小さかった気がする。
 真希は、たまたまドアの開いていた私の部屋に用があって、たまたま私は一人でコーヒーの蓋を開けようとしていて、開かなくて、そうして車椅子から倒れた私と眼があった。あの時、真希が私を見ていたからなのか、私が真希の方を見ていたからなのか、分からないけれど、眼が会ったことが、全ての始まりだったと思う。真希は迷った表情をしながら、でも私に手を伸ばして、優しく声をかけてくれた。
 「立てますか?」

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 京子さんを見ていると、思う。私にはずっとこれが足りなかった。誰かのために何かすることがあって、その役割に私も参加できるんだってこと。それに気付かせてくれた機会なんだと思う。今までの、全てのしてこなかったこと達、できなかったこと達、全てに別れを告げて、私は自分を少し好きになれた。この部屋で京子さんの世話をしながら、二人でコーヒーを飲んでいると、そういう安心感がある。もうすこし、こういう時が続いていけば、いいのにと、思う。

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 真希の家庭はたぶん、育ちの良い所なんだろうと思う。私みたいに自分で何でもやりなさいなんて、そういう乱暴な教育はされてなくて、本当に、良い意味で育ちが良いのだと思うんだ。でもその分、新しいことに少し臆病だったり、勇気が出なかったり、本人も悩んでいることも多い。私は幼い頃からそうではなかったから、今こうして、手取り足取りで、誰かに世話されているのが、初めての体験なんだ。足のリハビリが終われば、また元のように仕事へ戻れる。二人の生活も、仕事が休みの日まで、できなくなるだろう。今しばらくと思えば、この居心地の悪い気持ちも、そんなに悪くないのかも。そう、今だけなんだ。だから、少しは甘えてみても良いんじゃないかな。どうなんだろうな。


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 京子さんの足の具合が日に日に良くなっていくのが分かる。もうすぐ一人で一通り生活できるようになって、リハビリで筋力も取り戻せたら、また仕事に戻るんだって。嬉しそうに話しているのが、なんだか少し切ない。本当は嬉しいよ、それは。嬉しいんだけど。また居場所の無い私の部屋に戻っていくしか、今の所私の選べる方法はなくて、だから、少し憂鬱なだけなんだ。でも、京子さんと話していると気持ちが落ち着くよ。どうしてだろうね、寂しいし、でも落ち着くんだ。もうすぐ終わるのが分かっているけれど、止められないんだ。それは、分かるんだ。

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 何が必要で、何が必要でないか、よりも、
 お互いにとってのバランスとは何だろう、と考えて物語にしてみたい。
 仕事を得ることと、仕事を奪われること、雇うことと、雇われること、 
 自分の居場所は、そうではない誰かの居場所だったかもしれない。
 たまたま、お互いの居場所を交換して、関わらせて、そうして見えてきたものや、得たものが、
 その居場所が無くなっても、何かの意味を、きちんと持てるのだろうか?残していられるんだろうか?
 いつ、相手に必要とされないかという怖さは、誰にでもある。
 と同時に、必要としているのは、自分が誰かを必要としないような、一人立ちする為の居場所なのかもしれない。
 
 真希と京子は、どうなるんだろうか。