「ダークナイト」は、今年一番の映画であり、わたしやあなたの一番の映画ではない。

 「ダークナイト」を見る。
 一応説明。「ダークナイト」は「バットマン・ビギンズ」の続編である。悪の蔓延る街を舞台に、マフィアや悪党を相手に法を逸脱した行為で街の秩序を保つ「闇の騎士」バットマンと、法に従い表立って悪を裁く「光の騎士」地方検事ハーヴィー・デント、そして二人に追われながらそして追いながら恐怖をまき散らすジョーカーが、互いの中に互いの姿を見る物語。

 世間での評価はすこぶる良いようだ。たしかに面白かった。細かく見ていくと、幾つか「もっと撮りようがあるであろう」シーンとか、「結局あの話はどう落ち着いたの」エピソードとか、やっぱりおしいポイントがある。映画館で観ていながら、もうちょっと内容深く詰め込もうよ!というセリフもあったりして、傑作ではあっても、いくつか不満が残る。なぜだろう。
 ジョーカーの演技がそれはとてもとても良かった。元々あぁいう不安定で矛盾していて、それでいて純粋で残酷なキャラクターが大好きで、狂っている姿に翻弄される人々にドキドキしているのが、最初から最後まで楽しかった。早く登場しないかとわくわくするキャラクターは久しぶりだ。
 ストーリーもとても良かった。よく理論立てられていて、それでいてアクションや見せ場はきちんとある。完成されたハリウッド映画という感じなのだ。それが良かった。ジョーカーが狂言回しの役であり、同時に主人公やテーマについて情報を補完させる機能を担っている。よくできている。そう、この映画は「よくできている」のだ。

 おそらく、この映画はいつかもう一度観ることになるだろう。それなりに「ダークナイト」への考察や分析が至る所で深まり、それを参考にしながら、シーンやテーマや、対立関係やメタファーや、現代アメリカの限界と未来について思いを馳せて、もう一度観ることだろう。でも、それ以外では観ない。研究する為以外では、おそらく観ない。理由が無くても観たくなる映画では、無いから。

 この作品を見終えた後に、一番最初に思ったことが、「これはまさに傑作。でも、天才が創ったものじゃない」だった。理由が無くても大好きで、心を鷲掴みにされて、何度も何度も繰り返し観てしまうような作品を創る監督がいる。それを天才と呼ぶんじゃないだろうか。でも、クリストファー・ノーラン監督はそうでは無かった。高校の頃、「メメント」を観て頭の良い監督なのだと思った。今、「ダークナイト」を観ても、さらにその評価を高くするばかりだ。でも、天才じゃない。

 生理に訴えかけられない。もっと色や構図や立ち居値や音やメタファーで情報入力がいっぱいになるような作品だったら、これは大傑作になったかもしれない。本当は自分では気付けないだけで、様々な情報が埋め込まれているのかもしれないけれど、やはり、エンターテイメントのハリウッド映画だった。

 バットマンという要素を残しつつ、エンターテイメント性と大衆性と、倫理感や善悪や選択の問題を、バランスよく配置した映画ではある。そしてきちんとおもしろい。でも、これは今年一番の映画であって、わたしやあなたの一番の映画では無いのだと思った。