風邪ひきやがって。

 親友が風邪を引いて、頭痛がひどいらしい。
 正直仕事終わりで疲れてたけど、でもなんか家で一人で寝込んでる姿を想像してるとハラハラしてきて、コンビニでヨーグルトだのポカリだのルルだのをたんまり買って最後は小走りで持っていった。
 そいつの家に着くと彼女が居て。熱冷まし用に氷をビニールに入れていて。こんばんわって。
 一気に気が抜ける。

 まぁ、彼女だからこそ言いにくい甘えとか、あるんかな。そういう時に役に立っていると思えば悪く無い。結局頼まれた頭痛薬はコンビニじゃ売ってなくて深夜だから薬局も開いてなくて。よく分からんお見舞いになってしまった。


 誰かが病気とか元気が無いとか、そういう時には何かをしたくなる。なんかもうよく分からん欲求が顔を出す。昔っからこうだから、もうこれは偽善とか良い人に思われたいとか下心とか、そういう議論は済んでいて、そういうものに意味が無いのはハッキリしていて、結局そうしたいからそうするのだと、私は強引な結論に達した。

 「ブラックジャックによろしく」の斉藤先生とか「LOST」の医師ジャックとか、物語の中で「人を治す(という形で相手に関わる)」という行為に過剰なまでにつっ走る人がいる。治療するってことは、人の本質のような部分をくすぐっているんだろうか。
 母性本能みたいなもの? うーん。でもどちらの作品でも良いイメージは無いな。

 治療をすることで、確かにその人は救われる。現実的な形で。歩けるようになるとか、気分が良くなるとか。
 でも問題は、医者側が、次の患者を探し始めるということなんだ。それはどちらの作品にも見られる。
 それは患者という子どもに依存する、子離れ出来ない母親のようで。
 弱者を相手にすることでしか、自分の立ち位置を確認出来ない臆病者のようで。なんとも難しい。
 

 優しくするってのは、後先の複雑なプロセスをある程度無視するってことでもある。
 これでいいのだ。ってのも真実で。

 

 最近読んだ本とか。読んでる本とか。

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

逃亡くそたわけ (講談社文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

 「逃亡くそたわけ」は楽しかった。九州に行きたい。精神病院を抜け出した二人に、元気を貰うとは。解説の人もそう言っていたけど、確かにこれを読むと快方に向かうような気持ちに包まれる。これで文庫の絲山さんは全部読んだのか?

 「悲しみよ こんにちは」は上手すぎる。なんともサガンさんはすごい。小さな感情の変化の積み重ねが、読み手の中でどんどん想像と妄想を膨らませていって、もうたまらん。でもこれは高校生の時に読んでも、ふーんってな感じでしょう。鋭い子は鋭く読み解くのかな。今読んで良かったと思う。
 時間が経ってから分かってくることも多くて、そういう変化に合わせて姿を変える物語が稀にこの世界にはある。これはそう。