シナ講 vol.6 大雑把にドラマとは何かを考えてみる。その1。

 シナ講vol.6からは、シナリオの形式から一度離れ、シナリオの「おもしろさ」に焦点を合わせてみます。詳しい書き方などは後ほど触れてみますが、今はすみません、他のサイトを参考にしてみてください。もしかしたら技術的な部分については、かなり後になるかもしれません。

 映画やTVドラマが面白い時は、「シナリオが良い」という表現の他に「ドラマが良い」という表現が使われることがあります。シナリオとドラマ、ほとんど同じと言っても良いのでしょうが、「ドラマが」と言われる場合には、「構成やアイデアの組み合わせ方」「クライマックスやテーマについての評価」を表すことが多いようです。「シナリオが」の場合はそれと共に書式などのテクニックの要素も強くなるようです。言葉の使い方なので、あくまで感覚的な判断ですけど。
 この「ドラマ」と言われる部分をよりよく創りあげる為には、どうしたら良いのでしょうか。シナリオを勉強していると、至る所で出てくる言葉があります。それは、

「ドラマとは、葛藤である」

葛藤とは:
1 人と人が互いに譲らず対立し、いがみ合うこと。
「親子の—」
2 心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。
「義理と人情とのあいだで—する」
3 仏語。正道を妨げる煩悩のたとえ。
禅宗では、文字言語にとらわれた説明、意味の解きがたい語句や公案、あるいは問答・工夫などの意にも用いる。ただし、時には逆に文字や言句を活句として生かして使うと見ての用い方もある。

 3番については少し解釈が難しいですけれども、葛藤とはつまり、「迷いや悩み」「人生に壁として立ちはだかるもの」などの意味です。例えどんな小さなものでも、本人に無自覚なものでも、他人に理解されないものであっても、それはドラマで「葛藤」となりえます。あなたが今ふと、「これかな」と思うことは、おそらく「葛藤」です。他にも、「エイリアンに殺されたくない!」「天国の恋人ともう一度会いたい!」というのも同じく葛藤です。葛藤という言葉はドラマにおいて、その意味が広く当てはまるので使われていますが、珍しいことを言っているわけではありません。なんとなく感じていただけましたか?

 この葛藤、もちろん登場人物やその周囲の環境など「ドラマの中」に「葛藤」が存在している場合もありますが、多くの人の評価の中で「理解しにくい、難しい、よく分からない映画やTVドラマ」の場合、「ドラマの外」に葛藤が存在していることが考えられます。「ドラマの外」とはつまり、観ている私たち(現実の世界や、自分の心の中)です。
 観終わった私たちが、ふとドラマの後も自分の心の中で考え続けてしまうこと、登場人物の心に自分を重ねて日常生活に戻った中で考えてしまうこと、それらは私たちの心の中の「無自覚な葛藤」を、ドラマが揺り動かして存在を示したからかもしれません。

 もちろんドラマは「物語の中と外」で心を捕まえてしまうような葛藤を提示することが可能です。そして「物語の中」や「物語の外」のどちらかだけでも、前者は「爽快感や満足感」を生み出しますし、後者は「人生経験」に似た感覚を生み出します。どちらも大事ですし、両立するものが一番優れているとは言えません。しかし書き手はそれをコントロールできると良いかもしれませんね。

 「本当にドラマには葛藤が必要かどうか」という検証も含めて、「葛藤」というテーマでの記事は、もっともっと書かなくてはいけない気がするのですが、それはまた後日。なんとなく理解して頂ければ幸いです。

 では次回。お付き合いくださり、ありがとうございました。

ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101

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